メッセージ - B年 年間

今日の福音書を読んで黙想した時、私は父から学んだ信仰体験を分かち合いたいと思いました。2011年1月25日の出来事です。父にとって、この日は自分が救われた日です。死んでしまっていたはずですが、神に助けられた日です。ご存知の方もいると思いますが、私の父は漁師で、その日の午前7時ごろ、父は一人で船に乗って漁に出かけました。ちょうど、雨の季節で風も強く吹いていた日でした。しかし、父は家族を養うために漁に行かなければなりませんでした。陸から数キロ離れたところで突然嵐が吹き、大雨の中、何にも見えなくなりました。そして大波で、船の中が水でいっぱいになりました。船が沈む寸前に、父は海に飛び込んで、大波の中、懸命に二時間ぐらい泳ぎ続けました。しかし父は、どんどん力が尽きてきて、もう死ぬだろうと思ったそうです。その時、父は次のように祈りました。『神様、あなたのいつくしみに私の霊を任せます。しかし、私の子供はまだ小さい。私には大きな責任があります。助けてください』。しばらくすると、遠くから他の船が通りかかり、父の姿を見つけました。彼らは海から父を引きあげてくれました。父は助かりました。しかし、それまで家族を養うために大切にしていた船は海の底に沈んでしまいました。今も見つかっていません。私の家の扉の後ろには、「2011年1月25日、神に救われた日」と書かれています。私も家族もいつまでもこの経験を忘れません。いつも思い出します。父はその日に神に救われたと心から信じています。

先ほど読んだ福音書の中では「信仰」の重要さを教えてくださっています。ガリラヤの海で、イエスは嵐と風を静めるという特別の奇跡を行いました。イエスは使徒たちを安心させるために、御自身がいつも彼らとともにおられることを示すために、このようなことをされました。また、恐れていた弟子たちを落ち着かせるためでもありました。「なぜ怖がるのか。また、信じないのか」とイエス様はおしゃいました。なぜこの奇跡が起こったのか、よく考えてみましょう。弟子たちは叫び、神に助けを求めました。ですから、彼らは救われたのです。

人生において私たちは弟子たちのように、様々な形で恐れるという気持ちを持つことがあると思います。仕事に関して、健康に関して、学校に関して、将来に関して、しばしば不安や恐れを覚えるのではないでしょうか。そんな時、「なぜ怖がるのか。また、信じないのか」というイエス様の言葉を信頼して、様々な重荷を神様に委ねれば、神様は必ず助けてくれるでしょう。つまり、信仰を持って自分をゆだねることが必要です。祈りの中でどんな困難に遭遇しても、神のもとに来て、神に叫び求めて下さい。そうすれば、力ある神は私たちの人生のすべての問題に答えてくださいます。どうぞ、神様を心の底から信頼し、神様の御言葉を黙想しながら日々を過ごして参りましょう。