今日の福音では、ファリサイ派の人々と律法学者たちが、食事の際に手を洗わない弟子たちを非難する場面が描かれています。当時は、モーセの教えを守るための規則が設けられており、ファリサイ派と律法学者たちは規定を守らなかったことに対する批判を行っています。これに対してイエスは「人の中から出てくるものが、人を汚すのである」と福音の中で教えられています。権威や規則といった目に見える分かりやすいものではなく、人の心、神のはからいといった、私たちの目に見えないものごとに本質があることをイエスは見抜いていたように思えます。その意味でファリサイ派の人々や律法学者が見ていたのは、分かりやすい規則や権威であり、人々のその規定を定めた本質的な部分を見逃していたようです。私たちも生活において、目に見える分かりやすい物質的なものに目を向けがちですが、その奥にある多くの人々の働き、そして私たちが生きている世界は神の恵みによって成り立っていることに、いつも思いを馳せなければなりません。私たちは日々の祈りを通して、そのことをいつも思い起こし、そして私たちの世界で働いている、目には見えない神の働きに感謝することができるよう、祈り求めていきましょう。