メッセージ - B年 年間 |
今日の福音は、ガリラヤ地方に戻ってきたイエスが、耳が聞こえず、話すこともできない人を癒す場面が読まれています。イエスが様々な悩み苦しみを持つ人を癒すという描写は、福音書の中でいくつか見られますが、その中でもこの箇所では、イエスの特徴的な動作が目を引きます。それは「天を仰いで深く息をつく」というものです。
このイエスの動作は「病人の苦しみと一つになったような」姿を表現しているものです。単にやるべきことをやって、はい終わり、ということでなく、そこには、助けを求めて自分の目の前に来ている人間一人ひとりの悩み苦しみそのものに寄り添い、共感し、分かち合いながら救いを与えるというイエスの姿があるのです。
自分の目の前に苦しんでいる、悩みを持つ人がいる、という場合、私たちはまずその原因を取り去ってあげるにはどうすればよいか、ということを考えます。当然ながら、問題を解決するためには、そうした動きが必要です。例えば機械であれば、故障している箇所を直す、あるいは原因となっている問題さえ取り除けば、何事も無かったかのように正常な活動を再開します。ですが、私たち人間はそうはいきません。心を持つ人間である限り、問題が解決したとしても、苦しんだ、悩みを持った経験、という思いは長く残り続けますし、問題が起こる前の状態に戻るにも時間がかかるものです。それが人間の心というものであるわけです。だからこそ私たちには、そんな複雑な心の内を分かち合える、共感し合える他の人間の存在が必要です。大きな悩み苦しみはもちろん、ほんの小さなことであっても、日常の生活の中で、互いに不満や愚痴を言い合ったり、聞き合ったり、そうした心と心を通わせられる存在が何よりも大切です。イエスは、同じ人間としてこの世に来られ、そんな人間の心を理解していたからこそ、苦しむ人に寄り添い、共感する姿を人々に示されたのではないでしょうか。そうしたイエスの姿から、他人に寄り添うことの大切さを学びつつ、私たち一人ひとりにも、イエスは寄り添ってくれているのだということを改めて思い起こしましょう。
さて、今日から私たち神言修道会は創立150周年を記念する1年を開始します。この150年という長い時間の中で、いつも私たちと、そしてあらゆる宣教活動の場に生きる人々にイエスが寄り添い、助けてくれていたことに感謝したいと思います。これまでの150年を大切にしつつ、またこれからの宣教活動の未来に向けて、神の新たな導きと共に、力を尽くしていくことが出来るように、私たちと心を合わせて祈りをささげましょう。
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