メッセージ - B年 年間

今日の福音箇所は、非常に難解な終末論的性質の強い箇所であります。来週の「王であるキリスト」の日で、教会の暦が1年の終わりを迎えるということで、毎年最後の2、3週の主日には、こうしたエスカトロジー、終末論に関する福音が読まれることとなっています。

さて、その難解な今日の福音ですが、マルコ福音書というのは13章全体を通して、終末、世の最後の時にどういうことが起きるのか、ということを説明しています。今日の箇所は24節からとなっていますが、実際は13章全体を通して読まなければ、ほとんど意味が分からないものですが、少しでも理解が出来るように見ていきたいと思います。

イエスは、今日の24節以前の箇所で、近い将来に様々な苦難が起こることを預言しています。そしてそれはエルサレム神殿が破壊されること、使徒たちにも迫害の苦難が訪れる、あるいは偽者のメシアが現れる、という形で実際に起こったわけです。しかし、それで世の終わりが来たのか、と言われれば、そうではありませんでした。現に私たちは今という時代に生きています。今日の24節からの箇所は、まだ起こっていない、これから起こるであろうことが読まれたのであります。勿論、この聖書の言葉通りのことが起こるというわけではありません。特に24節からの言葉は、神という存在が、私たちの力の及ばない天体や星以上に大きく偉大なものであることの象徴です。そんな大きな力を持つ、神、そして人の子、つまりキリストが再びこの世に来られる、再臨、パルジアと言いますが、それがまだ起こっていないわけです。30節の通り、それらがみな起こるまでは、この時代は決して滅びないのです。ではそれはいつ来るのか、32節の通り、誰も知らないのです。

話を整理すると、この世の終わりの時、終末の時にはイエスのパルジアが実現します。つまりイエスが再びこの世に来られ、その時には27節の通り、イエスに選ばれた人々が集められます。その、いつ来るかもわからない時のために、私たちキリスト者は何を頼りに準備するのでしょうか、それは31節の通り、決して滅びないイエスの「言葉」なのであります。福音書をはじめ、イエスの言葉、そしてそれを受け継ぐ弟子たちの教えは、私たちの日常生活の上でも様々な指針、励まし、心に留めるべき注意として働きかけています。それと同時に、このイエスの言葉を信じる、そして実践することによって、私たちはこの世のことだけではなく、終末の時に向けた準備を行っているわけでもあるのです。32節以降にいつも「目を覚ましていなさい」というイエスの言葉が続きます。私たちは、いつ来るかわからない再臨の時をただ、待つのではなく、目を覚ましてイエスの言葉をこの世において信じ、実践していくこと、この重要性を今日の福音箇所は終末論的メッセージを通して教えてくれているのではないかと思います。

終末、と聞くと、恐ろしいことが起こるようなイメージもありますが、決してそれだけではありません。ただ、それに向けた私たちキリスト者としての心構え、準備というものは大事になってきます。私たちがイエスの言葉を通して良い準備が出来るように、改めて日々の生活を見直して行きたいと思います。