メッセージ - B年 年間 |
今日、カトリック教会では「王であるキリスト」の祭日を祝います。また、教会の暦では大晦日にあたります。年間最後の日にこの祭日がある意味は、何でしょうか。「王であるキリスト」は天と地、すべての万物の王であり、世の終わりの日に、私たちを支配し、裁くために来られる方です。今日は私達の生活が、イエス様を中心にして送ることができているのか、つまりイエスを王として認める生活になっているのかを振り返る大切な日なのです。
今日読まれる朗読では、王であるキリストのことについて深く描かれています。第一朗読のダニエル書には、人の子が権威、威光、王権を受けられたことについて語かれています。興味深いことに、これらは人の子が世から受けるものではなく、父なる神ご自身から与えられたということです。それゆえ、その王権と王国は永遠です。また、黙示録は、キリストが栄光のうちに再臨し、今経験しているあらゆる苦しみや迫害を終わらせるという、信仰者の力と希望となることを繰り返し述べています。ヨハネ福音書ではピラトとイエスの会話が登場します。ピラトはイエスにユダヤ人の王であるかを問いただします。イエスは、自分の王国はこの世のものではないと説明します。明らかに福音書は、イエスを王であると宣言しています。その意味で、イエスは王の威厳を持っていますが、その威厳はこの世の華やかさではなく、優しさであり、人々の苦しみを分かち合う能力であり、愛の教えを人々に教える能力です。イエスの権威は、人類の救いのために十字架の道を選ぶというイエスの決断を通して証明されます。つまり、イエスの権威の冠は金で飾られた冠ではなく、イエスの愛の証としてのいばらの冠なのです。
王であるキリストの祭日を祝う中で何を学ぶことができるでしょうか。この祭日は私たちの1年間の信仰の旅の集大成となる日なのです。つまり、イエスが王であることを認めることによって、自らの信仰の集大成を経験するよう招かれているのです。なぜなら、イエスが宇宙の王であり、特に私たちの人生の王であると信じることによってのみ、私たちは、真理のあかしが生活の中で実現できるように、また、他の人々に忠実に仕えることを通して、愛の教えを実践することができるからです。また、皆さん一人ひとりが、宇宙の王、真理の王、私たちの心と人生の王であるキリストに倣うことができますように、平和の君であるキリストとともに永遠の救いに導かれるよう、心から私たちの人生を神の力にゆだね、感謝を捧げましょう。
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