メッセージ - C年 降誕節

主の公現は、神の栄光が神の子キリストであるイエスの誕生を通して現れたことを祝う祭日です。しかし、マタイ福音書2章によれば、イエスの誕生はきらびやかで目立つようなものではありませんでした。お生まれになった方は「ユダヤ人の王」と言われていますが、実際に生まれたのは豪華な宮殿の中ではなく、小さな町ベツレヘムでした。その誕生は多くの人に祝福されて豪勢に祝われたのではなく、外国人である数人の占星術の学者たちが来ただけで、逆にヘロデ王の反感を買って敵意を向けられました。

考えてみると、イエスの生涯すべてが栄光とはかけ離れたものでした。人にチヤホヤされ、仕えられるためではなく、自分が仕えるために生き、金持ちや正しい人たちではなく貧しい人や病に苦しむ人に寄り添い、嫌われて社会の外に追いやられている人、罪人のために働きました。そして、楽な方法で簡単にではなく、十字架の苦しみと死を通して救いをもたらしました。それはまさに、第一朗読のイザヤ書で言われているように、暗黒の闇の中にこそ光が輝いた、ということです。世の闇に、私たちの弱さや罪の中に、痛みを伴いながらあえて入って来た、そこに大きな意味があります。

暗闇の中でこそ輝く光があるように、私たちも、自分の弱さを認めながら、痛みや苦しみの中でこそ神の恵みを証しすることができますように。私たちが生きているこの世界も、決して輝くよいものばかりではありません。戦争やテロがあり、貧しさや差別があり、災害や病気がある、不完全な世界です。そこに生きている私たちも、何が正しいことが分からなかったり、分かっていても罪を犯したりする弱さがあります。けれども、だからこそ、それでも大切にされ、愛されていることを忘れないようにしたいと思います。