メッセージ - C年 復活節 |
復活徹夜祭での朗読を通して、私たちは神がユダヤ人に行われた救いのわざを思い起こすと同時に、人間が神から離れた故の苦難をも思い起こします。しかし私たちの希望は苦難にとどまるものではないことを、福音朗読を通して私たちは知ることができます。イエスは十字架の苦しみを受け亡くなりますが、イエスの復活が天使を通して弟子たちに告げられます。これは私たちの苦難は、苦しみだけで終わるだけのものではなく、その先にある復活の希望を導くものであり、その最後として私たちは復活のからだにも招かれていることを意味します。
さて今日私たちはイエスの復活の神秘を祝っています。復活の出来事は、過去にイエスに起こった事実だけにとどまらず、苦難や悲しみを超え、古い自分に死んで、新しい自分に生きるという日々の生活の中で行われています。その意味でイエスの復活は私たちの日々の生活の中での希望であると言えます。私たちがイエスに向かって生きる限り、いつも私たちはイエスの助けによって、新しい自分に生まれることができます。そして私たちはその喜びを日々の生活を通していつも示すように招かれています。最後にイエスに向かって生きる私たちは、復活のいのちに召されるのだと言えます。私たちは時代の流れの変化の中に生きており、時に私たちには大きな変化が求められています。そして変わることは大きな苦しみを伴います。しかし、私たち教会共同体はイエスの復活を通して、その変化の先に大きな喜びがあるということを一人一人が示していくよう召されており、その中にいつも復活したイエスがともにいることを思い起こさなければなりません。
私たちがイエスの過越を信じ、そして日々の生活を通して私たち自身も過越の神秘に与り、最後の日に復活のいのちに達することができるよう祈り求めていきましょう。
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