メッセージ - B年 待降節

テーマ:「主の道をまっすぐにせよ」

洗礼者ヨハネは言った。

「わたしは、荒れ野で叫ぶ声である。

『主の道をまっすぐにせよ』と。」(ヨハネ1,23)

 

次のような例え話が聞いたことがあります。

クリスマスの季節になった時、あるユダヤ教の信徒は、ラビの所に来て尋ねました。「私達の預言者達が昔、預言していた救い主は、既にこの世に来られたと町の人が

言っています。先生、それは本当ですか。」と。ラビは、テレビをつけて暫くニュースを、窓を開けて町の人々の様子を見ていました。そして、「いいえ。まだ来ていない!

もし、キリストが既に来られたなら、人々の生き方はこのようなものではないはずだ。」と答えました。

例えのラビは、テレビや窓から何を見たのでしょうか。それは勿論、私達が毎日、目や耳にすることです。すなわち、クリスマス飾り、イルミネーション、サンタクローズ、クリスマス・プレゼントの宣伝、クリスマス・セールのニュース、また、人々が町で買い物をしたり、クリスマス・パーティーや忘年会などのような光景です。そして、クリスマスに関係なく、政治家のスキャンダルのニュース、人の自己アピール、経済的な危機、盗み、殺人、戦争などのニュースもあり、街では、ある者は仕事や商売で自分を忙しくしたり、他の人達は、遊んだり、喧嘩したりします。神から来られた救い主と共に生活を送る様子はあまり見当たりません。これらのことにまきこまれている私達の人生の道がとても複雑で、私達もあらゆるものに心を向けて思い患い、迷っています。このような状態では、救い主が来られたとしても、見出すことが難しいものでしょう。

待降節は、回心の時です。「回心」とは、「神に立ち返ること」です。回心の結果は、よこしまで曲がった道を捨て、キリストと共に神に向かって人生の道を真っすぐ歩むことです。回心の恵みとは、キリストの赦しと神との再会の喜びです。 人々は、あなたの喜びに満ちて真っ直ぐな人生を見て、神からの救い主が既に来られたことが分かるでしょうか。