釈義 - B年 年間

第一朗読:           イザヤ43,18-19.21-22.24b-24

第一朗読の言葉の背景には、バビロニア移住後だということである。バビロニア移住の理由はイスラエルの罪であったと、預言者イザヤは思っていた(イ ザ43、22-24)。バビロニア移住から解放されることが神の業であった(43,18-19.20)。イスラエルの民は神の国民であるので、いくら苦し い時代があってもいつも最後に神に救われる国民である。

第二朗読:           二コリ1,18-22

パウロはイエスの僕(奴隷)として様々な所ですべての人々に福音を述べ伝えて教会を樹立した。だから、彼は「弟子」と呼ばれる権利があった。けれど も、彼は自分でやった業を自分の力でできたことと思っていなかった。彼は、いつも神の力のおかげで伝道を出来ると思っていた。だから、教会を作る方は神で ある。「私たちをあなたがたといっしょにキリストのうちに堅く保ち、 私たちに油をそそがれた方は神です。」

福音朗読:           マルコ2,1-12

福音書の言葉は「イエスの権利と尊厳についての議論」と呼ばれる部分の中での最初の議論である。人間の罪を許す権利は神だけにある。だから、イエスは中風の人に言う時に受身を使った。「 子よ。 あなたの罪は赦されました」と言われた。イエスは人間の罪を許す権利があるということを証する業が中風の人をいやす奇跡である。