メッセージ - A年 待降節

テーマ: ご降誕祭にふさわしい準備をすることができますように

福音朗読:        マタイ 11,2-11わたしにつまずかない人は幸いである。

 

信仰は神に辿り着く道です。信仰は理解を求めます。教会の教えや信仰体験によって理解を深めていない信仰は迷信です。理性を持つ人間は信仰の道を選ぶ責任があります。信仰の歩みの中で、神が残したしるしや道しるべは沢山あります。今日の福音の洗礼者ヨハネは、牢の中でキリストに出会うことも学ぶこともできないので、情報を得るために自分の弟子達をイエスのもとに送りました。イエスがなさった業、すなわち目、耳、足、皮膚の病気の癒し、死者の生き返り、福音が貧しい人に告げ知らせるなどの見聞きした徴、その弟子達がヨハネに伝えた時、彼の心はきっと信仰に満たされたことでしょう。

「わたしにつまずかない人は幸いである」とイエス様は忠告します。これは「頭の信仰」にならないようにという警告のことだと思います。限界がある私達は理解に失敗すると、それはつまずきの原因となります。ユダヤ人の指導者達は来るべきメシアについて立派な知識を持っていてもキリストにつまずきました。我々も,「神について沢山知った」としても、「神を知る」ことはないかもしれません。

信仰は愛がなければ死んだものです。しかし、愛を頂かないと私達の内に愛はありません。故に、神がそのひとり子をこの世に遣わしたから私達はキリストの内に無限に愛されたことです。我々はキリストとの人格的な出会いを必要とし、勇気をもってその愛を頂き、心から主を愛する必要があります。

 

*もし、神を知らないなら、今年の御降誕祭に主が来られますから、祈りと秘跡の内に出会うように致しましょう。

*あなたは、その信仰の歩みの中で神の現存の徴を沢山見つけることができます。この待降節の時に毎日、神に愛された徴を見つけると、あなたの心にきっと神様が生まれることでしょう。