釈義 - B年 祭祝日


第一朗読:イザヤ49,1-6

第一朗読の言葉は「第二の主の僕の賛歌」と呼ばれる文章である。主の僕は生まれた時から(1行)神に選ばれた人として、イスラエルの民が回心できるようにするために神の言葉を述べ伝えた(5行)。しかし、イスラエルの民だけではなく異邦人にも神の救いを述べ伝えるために使わされた僕である(7行)。これは「救済(きゅうさい)普遍性(ふへんせい)」と呼ばれるアイデアである。

第二朗読:使徒言行録13,22-26

キリスト者になったユダヤ人に対して異邦人もキリスト者になるために神に呼ばれた人々であるという考え方を認めさせることは非常に難しかった。初キリスト教の頭、ペトロにも、これは認めにくいことであった。しかし、神から貰った特別な教えのおかげで
ペトロは神の救いがすべての人々のために与えられたことだということが理解できた。「百人隊長コルネリオ 」の話の意味はキリスト教が国民的な宗教の道を捨てて普遍性的な宗教の道を選んだということである。

福音朗読:ルカ1,57-66.80

割礼を授ける日にヨハネの両親の家に集まったユダヤ人たちが「この子は、いったい、どんな者になるだろう」と語り合った。この幼子はやがて、イスラエル国民が悔い改めることができるよう宗教的な活動をするために神に選ばれた預言者のような人になり、「荒野で叫ぶ者」と呼ばれた彼の活動の目的は「主の道を用意し、 主の通られる道をまっすぐにせよ」ということであった。彼が活動を終えたところからイエスは自分の活動を始めた。