釈義 - B年 年間

第一朗読:出エジプト16,2-4.12-15

エジプトでユダヤ人の部族は奴隷のような生活をしたが、砂漠を旅する時にはエジプト時代の生活が楽園のように感じられた(16、2-3)。砂漠の生活は、自由になったユダヤ人の部族にとって甘い味ではなく苦い味であった。40年もの間、大勢のために砂漠で毎日の食物を見つけるのは奇跡のようなことであった。第一朗読の言葉の意味は、ユダヤ人が仕事をすることで命を守ったということではなく、神の恵みのおかげで命を守ったということである。この恵みの形は、神から貰った食物であった。

第二朗読:エフェソ4,17.20-24

キリスト者になった人はイエスによって罪の捕囚から解放された新しい人として、自分の考え方や生活や習慣などを変えなければならない。キリスト者になる前の道をキリスト者として続けることは許されない。キリスト者になるためには洗礼が必要である。キリスト者らしい生活ができるように、長い間キリスト教の信仰の道を歩かなければならない。そうする間に、神の恵みのおかげで少しずつキリスト道を学ぶ。

福音朗読:ヨハネ6,24-35

ヨハネによる福音書によれば、神の御旨を行うということはイエスを信じることである(6,29)。イエスは人間を救うため、永遠の命を与えるため、神から贈られたパンだからである。砂漠の時代、ユダヤ人たちはモーセのおかげで神から命を守る食物を貰った。しかし、イエスは神からキリスト者に与えられた、永遠の命に至る食物である。イエスを信じる正しい理由は、この世で必要な物を貰うためではなく、永遠の命を望むことである。