メッセージ - C年 待降節

 

「悲しみと不幸の衣を脱ぎ、神から与えられる栄光で永遠に飾れ。」(バルク5,1)

待降節は回心の時です。本日、読まれる福音の中で、洗礼者ヨハネは罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えます。それは、神の子、救い主を迎えるための心の準備となります。御降誕の典礼がキリストの到来を再現します。私達も相応しい心で神から来られる救い主を迎えるように、教会は私達に待降節の回心の時を与えられました。

しかし、12月の日本で、私たちは回心する時を見付けるでしょうか。クリスマス・セールやクリスマ・スパーティー、忘年会、新年を迎える準備などで忙しく、騒がしい時の中で、祈り、節制や償いなどの地味な悔い改めの業に専念するのは、意外のものに見えます。日本での12月の風潮が私たちの心を奪い、神様から遠ざける快楽の道を歩むようにするならば、私たちは回心せずにキリストの到来を迎える喜びにならず、御降誕祭は虚しいものになります。

ところで、待降節の悔い改めは、悪を見つめて自分の罪を悔いるばかりのものになってはいけません。今日のみ言葉の中で神様は私たちに、悔い改めの業を喜びの内に行うように教えてくださいます。預言者バルクの口を通して、「悲しみと不幸の衣を脱ぎ、神から与えられる栄光で永遠に飾れ。神から与えられる義の衣を身にまといなさい。頭に永遠なる者の栄冠をつけよ。」と教え、使徒パウロは、私たちがキリストの日に備えて清くなり、栄光と誉れを喜ぶように祈ると、第二朗読の中で記しています。

今日のみ言葉に従って、回心へと呼ばれている私たちは、忘年会の時に悪いことを忘れて兄弟と和解し、一年間に亘って神様からの恵みと多くの人に、御世話になったことを感謝し、クリスマス・プレゼントをもって小さい者の喜びを自分の喜びとし、パーティーに参加する中で多くの人に対して友情と愛を示すことができます。このようにして、すべてを祈りの内に温かい心でキリストの降誕を迎える準備として行うならば、それらは私たちの素晴らしい待降節の務めとなることでしょう。