釈義 - C年 四旬節 |
第一朗読:イザヤ43,16-21
第一朗読の言葉は第二イザヤ(イザ40-66)の中の一節である。第二イザヤにはさまざまな章がある。そのうちイザヤ41-48章はバビロニアで書かれた章である。第二朗読の言葉はユダヤ人たちがエルサレムに戻る前に告げられた予言である。ユダヤ人の父は昔の神の業を思い出すより(エジプトから開放されるということ)新しい神の業に注目するはずだ。新しい業とは、神がユダヤ人たちをバビロニアから解放するということである。
第二朗読:フィリピ3,8-14
第二朗読のパウロの言葉は「信仰による義」という神学的な問題と関係がある。パウロはユダヤ人として、またファリサイ派の人としてモーセの律法を完全に守るために精一杯頑張った。それは彼の誇りであった。しかし、イエスがメシヤであるということを信じるようになったため、古い誇りを捨ててイエスの僕になって最後まで信仰による義を述べ伝えた。
福音朗読:ヨハネ8,1-11
ユダヤ教の律法に従えば、間違いなくこの女性は死ぬであろう。モーセの律法によれば、罪を犯した人は誰でも死ぬはずである。しかし、イエスの答によれば、群衆の中で罪を犯さない人がいないのだから、すべての人々が殺されるはずだ。しかし、そうはならない。神に許された人は隣人の罪を許すはずである。
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