釈義 - C年 年間

第一朗読:列王記上17,17-24

エリヤは北王国(イスラエル王国)で唯一神の宗教を守るため、預言者として宗教活動をしました。しかし、北王国の王アハブとその妻イゼベル(シドン市の人)に迫害され、エリヤはシドン市に住んでいる寡婦の家に留まりました。エリヤと寡婦に起こったすべての困難な事故の理由は人間の罪です(列王記17、18)。だから寡婦にとってはエリヤは神からの罰を伝える人です。彼の活動の結果は、北王国に入る預言者と司祭に対する王アハブによる迫害をもたらしました。そして、シドン市の寡婦の息子の死の責任は彼にあります。それはエリヤの信仰に深い傷を作った事故でした。神の名によって行う活動がそんな実を結ぶことがあるでしょうか(列王記17、20)。しかし、行った奇跡が次の事を証します:いくら大変な時期があっても、神は選ばれた人を必ず助けてくださる(列王記17,24)。

第二朗読:ガラテヤ1,11-19

ガラテヤに住んでいる信者たちからパウロはさまざまな激しい批判を受けました。その中にはパウロは正しい使徒ではなく、パウロが述べ伝えている福音はイエスの福音ではないなどという話がありました。実は、第二朗読の言葉はパウロの弁明です。パウロの話の目的は、述べ伝えている福音がイエスから直接貰った福音だという議論をすることです。実に、神に選ばれた人の人生は簡単ではあません。

福音朗読:ルカ7,11-17

福音書の言葉と第一朗読の言葉の歴史的な背景は異なりますが、これら二つの場面は似ています。イエスは寡婦の息子を復活させました。この奇跡は人々がイエスを信じる理由となりました。そしてそれは、神は選ばれた国民と共にいるということを人々に証することでした。