釈義 - C年 年間

テーマ :主の平和

第一朗読:申命記30,10-14

バビロニア捕囚の時期に校訂された申命記は次の五つの部分からなる。申命記1-4が第一モーセの説教;申命記5-11と申命記26,16-28が第二モーセの説教(大説教と呼ばれる);申命記29-30は第三モーゼの説教;申命記31-34がモーセの最後の時期。第一朗読の言葉は、モーセの第三説教の中の一部分である。申命記30,10-14の意味はユダヤ人がモーセから律法を聞いて学んだということである。心に留まったこの律法を守り、従い、愛することはユダヤ人の最も大切な義務である。それを実行する人々に神は良いことを与える(申命記30,9)。

第二朗読:コロサイ1,15-20

パウロ第一書簡の手紙の神学と比べるとコロサイの信徒への手紙は、より発達した神学を含む。というのは、コロサイの信徒への手紙の神学はパウロの神学の元に作られた神学である。第二朗読の言葉は大切なキリスト論の教えを含んでいる。まず、イエスは永遠なもの、神である(1,15)。イエスは神の完全な啓示である(1.15)。イエスはΑとΩである(10,16)。イエスは存在するすべてのものの原因である(10,17)。教会の頭としてイエスは教会のことを支配する(10,18-19)。神と人間の間で、平和を作ったのはイエスである(10,20)。

福音朗読:ルカ10,25-37

紀元前5世紀に行ったエズラの宗教改革時からサマリヤ(紀元前926-722の北王国の地方)に住んでいるユダヤ人(アシリヤとバビロニア捕囚のときに外国人と結婚した人)は、ユダヤ教から追い出されて異邦人になった(割礼を受けていない)。

自分の仕事が出来るように、司祭やレビ人は律法を破り、困ったユダヤ人を助けなかった。

サマリヤ人(異邦人;外人)は困ったユダヤ人を見て気の毒に思い、彼を助けた。

律法による義と信仰による義は二つの別な道である。