釈義 - C年 年間

第一朗読:アモス8,4-7

アモスはテコアというユダ王国の町に住んでいる人であったが、そこは預言者の活動が行われた王国だった。北王国の王ヤロボアII世(紀元前760-755)の時代は、経済と国際政治は非常に良かったが、社会の中には様々な問題があった。豊かな人々は貧しい人々に対して不公正なことをした。その上、豊かな人々は宗教にたいして熱意を失い、エルサレム神殿で捧げものを捧げる代わりに、北王国の神殿でそれをした。アモスは預言者としてこの二つの問題を正すために活動をした。

第二朗読:一テモテ2,1-8

一テモテへの手紙の著者によれば、キリスト者として社会的平和と安心のためには、祈ることが必要である。それも、社会を支配する人々のために祈らなければならない。社会を支配する人々に対して、 怒ったり言い争ったりすることは役に立たない。キリスト者はイエスのような行いをしなければならない。イエスは戦うことではなく祈りながら自身を捧げた。私達も静かな生活をしながら神の御旨を行わなければならない。

福音朗読:ルカ16,1-13

不正な管理人は自分の主に対して大変悪い事をしたが、逆に主に誉められた。もちろん悪い事をしてもいいということがこのたとえの意味ではない。不正な管理人は自分の事ばかり考えたが、彼の不公正は他の人々の役に立つ事になった。この不正な管理人はこの世で自身が救われるためにお金を使った(16,1-8)。

キリスト者はこの世に生きている時には、神に関することのためにお金を使わなければならない。お金は力があるが、全く小さい物である。この小さい物をうまく使うことができない者は、最も大事なもの(永遠の命)を貰うことができない。