典礼暦の各季節における主日の聖書朗読 - 典礼暦の各季節における主日の聖書朗読

導入

御降誕節は、典礼総則により12月25日0時、主の降誕夜半の祭日ミサで始まり、(日本では24日夕べに行う許可あり)主の洗礼の祝日の御ミサで終わります。降誕節中に多くの祭日と祝日があり、その典礼は、イエス・キリストの誕生から洗礼を受けた30歳になる時までの間を私たちのために再現します。救い主の到来は人々の様々な反応をもたらし、善悪の戦いの中でキリストの救いが実現していくという大きなメッセージを世界の人々に送り続けています。降誕節の神の言葉の祭儀で朗読される聖書の箇所は、以下の通りの内容があります。

1225日 主の降誕の祭日

夜半のミサ

第一朗読: イザヤ9,1-3・5-6

・「闇の中を歩む民は光を見た。」イザヤは預言した。その方は、私たちを照らすために生まれる

・生まれる救い主は、指導者、力ある神、永遠の父、平和の君であると預言された。

第二朗読:テトス2,11-14

・キリストの到来はすべての人々に救いをもたらす神の恵みを現した。それは、私たちが不信心、欲望を捨て、思慮深く、正しく、信仰深く生活するようになるためである。

福音: ルカ2,1-14

・預言の言葉が実現するためになされた神の計画によって、人口登録のためにマリアとヨセフは、

胎内の子イエスと共に出身のベトレヘムへ旅する。このダビデの町にキリストが生まれる。

・羊飼いたちに救い主の御降誕を告げる天使は、馬小屋の中で飼い葉桶に寝かせる幼子が救い主の誕

生の印となると言う。

・御降誕(クリスマス)の最初の賛美歌は、天使たちによって歌われた「栄光の賛歌」である。

(神に栄光、地には平和あれ。)

 

 

早朝ミサ

第一朗読:イザヤ62,11-12

・人間は見捨てられたものではない、救い主は地の果てまでも来て贖われる。

第二朗読:テトス3,4-7

・私たちが行った儀によってではなく、神の憐れみと慈しみに救われた。

・私たちはキリストの恵みによって義とされ、聖霊によって新しく生まれさせられて清めた。

福音:ルカ2,15-20

・天使のお告げに対して羊飼たちの反応は敏感だから、キリストに出会うことができた。

・羊飼いたちによって御降誕の出来事を町の人に伝えても、彼らは不思議に思っただけで、キリスト

を無視した。

・マリアはこれらのことを心に納め、思い巡らしていた。

 

日中ミサ

第一朗読: イザヤ52, 7- 10

・預言者は来るべきメシアの福音宣教を讃えて、「いかに美しいことか、山々をめぐり、山々を巡り、善い知らせを伝える者の足は。」と言う。

・地の果てまで、すべての人が私たちの神の救いを仰ぐと預言する。

第二朗読:ヘブライ1,1-6

・神は多くの預言者を通して人間に語られたが、最後に、御自分の子を通して語られた。

・キリストは、御言として世界の創造主、神の本質を持つ神の栄光の反映であり、人の罪を清めた後、神の右の座に御着きになった方である。

福音:ヨハネ1,1-18

・イエス・キリストは、神御自身である永遠の「言」である。

・キリストはすべての創造の原因と創造の源である

・御言であるキリストは命の源であり、世の光である

・御言は受肉して人間となって人と共にお住みになった。

 

2月26日 聖ステファノ殉教者(祝日)

第一朗読:使徒たちの宣教 6,8-10・7,54-60(最初の殉教者の祝日)

・ステファノは智恵と霊によって語り、キリストの死と復活について証しした。

・殉教の死を迎えた時に、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください。」、「主よ、この罪を彼らに

負わせないでください。」と言って、十字架上のキリストと同じ心をもって御父の元に召された。

福音:マタイ10,17-22

・キリストについて証しすることは、キリスト者を迫害する原因原因であると教える。

・福音の価値は、地上の命よりも大切だから、勇気を持って迫害を恐れてはならない。

 

12月27日 使徒ヨハネ福音記者(祝日)

第一朗読: 一ヨハネ1,1-4

・御言の受肉によって、人間は「神」を見、聞き、永遠の命を触れることができた。

・福音宣教の理由は、御言葉を伝えることによって多くの人が三位一体の交わりによって、

喜びに満ち溢れるためである。

福音:ヨハネ20,2-8

・空の墓を目撃した最初の弟子ヨハネが、理解できなくてもキリストの復活を信じた。

 

12月28日 幼子殉教者(祝日)

第一朗読: 一ヨハネ1,5~2,2

・神は光であり、神には闇が全くない。

・御子は御自分の血によって私たちをあらゆる罪から清めてくださる。

福音: マタイ2,13-18

・イエスはエジプトへ逃亡する

・王ヘロデは、神の子を殺そうとして多くの幼子を犠牲にする。

・殉教の原因:地上の権力は神を殺そうとして神に属する者が犠牲になる。

 

12月29日 聖家族(祝日=御降誕祭後の主日)

第一朗読: シラ3,2-6,12-14

・親は子に対して神の代理であり、権限がある。

・子は親を敬い、軽蔑してはならない。

第二朗読:コロサイ3,12-21

・神に選ばれて聖なる者とされたから、憐れみ、慈愛、柔和、寛容を身につける。

・皆が互いに教え合い、赦し合うことに呼ばれている。

・妻は主に仕え、夫は妻を愛し、子どもは両親に従うべきである。

福音:マタイ2,13-15・19-23

・御旨に従う聖家族は、イエスの命を守るためにエジプトへ逃亡する。

・キリストはガリラヤに戻って、ナザレの人と呼ばれる。

・神の子は人間の生活を送るから、人間の生活の手本となる。

 

1月1日 神の母聖マリア(祭日)

第一朗読: 民数記6,22-27

・祭司の祝福は、主が民を守るよう、主が御顔を向けて民を照らし、平和を賜るように祈る。

第二朗読: ガラテヤ4,4-7

・御子は律法の元に生まれ、私たちは自由になった。

・神を「アッバ、父よ」と呼べるようになった。

福音: ルカ2,16-21

・羊飼いの礼拝を見たマリアは、これらのことを心に納めて、思い巡らしていた。

・キリストの誕生の8日目に、割礼を施す。幼子に、「イエス」という名を付けた。

 

1月6日 主の公現(祭日­=今年度1月5日の主日に合せる)

第一朗読イザヤ 60,1-6

・遠い国々の王と人々は、救い主が照らす光に向かって、黄金、乳香、没薬を携えて贈物とし、

主の栄光が宣べ伝えられると預言される。

第二朗読;:エフェソ3,2-6

・異邦人のために福音宣教するパウロは神の救いの計画を果たす。

福音: マタイ2.1-12

・東方の占星術学者達が星の導きに従って、御子を見出す。預言された黄金、乳香、没薬を献げ物とする。

 

1月12日 主の洗礼(祝日=主の公現祭後の主日)

第一朗読: イザヤ42,1-7 「主の僕の召命」

・救い主は、神の霊を注がれて選ばれた僕であると預言される。

・彼の特徴は、謙遜、静けさ、優しさ、正しさ、愛、諸国の民を照らす光。彼によって神と新しい

契約が結ばれると預言される.

第二朗読: 使徒言行録10,34-38

・ペトロが福音宣教をし、洗礼を宣べ伝える。

福音:マタイ3,13-17

・キリストがヨハネから洗礼を受けると、聖霊が降り、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者」という声が天から聞こえた。御降誕節は、三位一体の啓示終わる。

考察

御降誕の御言葉の典礼は「闇の中で光の輝く」というテーマをもっています。

人間はその罪のために暗闇の中に生きると聖書は教えています。神は光によって象徴され、神に属する人を照らします。悪の力は、闇であるから人を迷わせて悪い目にさせることによって神に挑戦します。人類にとってキリストの降誕は、この世の暗闇に神が光として訪れたことを意味します。闇はいくら強くても、光によって消えて行きます。

A.闇の部分とは

降誕節に御ことばの典礼が触れる暗闇とは、ローマ帝国が権力を奮う住民登録と税金、貧困、聖家族を受け入れないベツレヘムの住民の愛の無さと心の冷たさ、王ヘロデが神と民の裏切り、預言された救い主を殺す計画のために無数の幼児の血を流したこと、幼子イエスが異邦のエジプトへの逃亡、神を知ろうとしない異邦人の無知などです。降誕節の御言葉の中では、キリストが設立した教会が同じく暗闇の力と挑戦しなければなりませんし、幼子殉教者、聖ステファノの殉教、キリストの墓を思い起こし、教会はどんな時代にも悪の力と戦い、キリストの光を求めています。

B.光の部分とは

キリストの誕生はあらゆる所に小さな光を灯し、それは大いなる光となったことを示します。天使のお告げに応えて、「お言葉通りこの身になりますように」という罪のない聖母のマリアの言葉から神の言が受肉し、そして神の子が聖なる人として生きるようになったという光です。神がそのひとり子をお与えになるほどにこの世の人を愛し、人間の家族の中で生まれて家庭に光を与えるのです。ベツレヘムの御降誕の時に、社会の代表者となる羊飼いたちは、天使のお告げを受けて馬小屋で生まれたイエスを拝みました。彼らを通してユダヤ人に光が与えられました。イスラエルの敵と見做されていたエジプトは逃亡したキリストに避難所となり、罪深いものと見做された東の国は、星の知らせを受けた賢者たちは幼子イエスを拝みに来ました。これは輝かしい啓示の光です。

キリストの教会は罪と死の影の中にはキリストから新しい命を頂く光を受けます。使徒ヨハネはキリストが葬られた空の墓の中で復活の信仰の輝かしい兆しを見ました。聖ステファノはキリストが神の右におられることを見ることができ、キリストのように彼を撃ち殺す迫害者の罪の赦すように祈ることは、殉教者がキリストの栄えある復活に与るものと見做されます。

結論

創世記が描く世界創造物語は、時の始まりに暗闇と混沌でしたが、神様が働きかけると光が差し込んだと言います。アダムとエヴァの罪によって苦しみと死の暗闇が訪れたが、旧約時代にわたって神は預言者を通して救い主の誕生の約束によって、光を差し込みました。愛のない人間の社会に、神の子が人間になるほど無限の愛の光が差し込みました。私たちの人生の中で、罪と過ちのために暗闇が訪れます。御降誕祭は、神の子が私たちの一人ひとりの人生に入った喜びの光を与えます。キリストの光は、世が受け入れなかったと言われるが、わたしたちに真理の道を示し、冷たい心を温め、新しい命を甦らせると言います。夜の暗闇が深かければ深い程、星の光がはっきり見えるように、罪深さの中で神の愛と救いの輝きは力強い印象を与えます。神の子は、自分の人生を通して、輝かしい生き方を私たちに模範として残してくださいました。すなわち、キリストは人間として、一番謙遜で貧しくこの世に生まれ、愛、憐れみ、赦し、慈しみ、慈悲、柔和、寛容の模範が彼の豊かさとなりました。降誕節は、キリストに倣い、キリストと一致して生きる私たちがキリストの救いに与り、光の子としての人生へと招くものです。