メッセージ - A年 祭祝日

 

テーマ :星の導きによって御ひとり子を諸国の民に示されました

第一朗読:イザヤ60,1-6

第二朗読:エフェソ3,2.3b、5-6

福音朗読:マタイ2,1-12

 

「神は唯一」、「神は主」、「神は我らと共に」という三つのユダヤ教の基本的な教えをキリスト教は全面的に守っている。「神は我らと共に」というのは、主である唯一神が自分の国民を守り、教え、目的まで導くという業によって、神は人間の間にいるという意味である。人間の歴史は神の業を含んでいる。そして神の業は人間の歴史に現れる。神によって造られた人間は神から離れて神の顔を忘れてしまった。しかし、すべての者の造り主である神は人間が再び永遠の命を得る道を知ることができるように、人間の歴史の中に自分自身を現わし始めた。アブラム、モーセ、ダビデや預言者たちなど、神によってすべての国民から選ばれたユダヤの国民は再び神について理解することが出来た。

第二イザヤ(イザヤ40-55;60-62)はバビロニア捕囚から戻ったユダヤ人を慰め、より多くの希望を与えるために、この大変な時期に、ユダヤ人の光は神であると言った(60,2)。ユダヤ人は幾多の苦しい経験を味わった。しかし、この国民は神の道を歩き、神の声に従うので、異邦人のように暗闇の中に生きることはなく、光のうちに生きている。それだけではなく、将来このユダヤ人の光によって異邦人も救われることになる(60,3-6)。それは預言者の言葉であったが、ユダヤ人の歴史は大変な時代からもっと大変な時代に落ちるばかりというときであり、ユダヤ人はメシアを待つという希望しか残らない人々になっていた。

神が決めた時期にベツレヘムでメシアが生まれた。昔の予言が実現されたが、喜びの雰囲気はなかった。民衆は、王ヘロデからエルザレムの全市民に至るまで恐れを感じ始めた(ルカ2,3)。ユダヤ人よりむしろ異邦人の王たちがユダヤ人の王(メシア)を見るためにメシアの生まれた場所を探しに行き、捧げ物をした。たしかに、預言者イザヤの言葉どおり(イザ60,3-6)のことが起こった。

パウロになったサウルは、若いときに他のユダヤ人と共にナザレのイエスはメシアであるということを信じているユダヤ人に迫害された。熱心なユダヤ教の信者だったからである。パウロは神の啓示により、最も大切な教えを理解することができた(エフ3,2-3)。メシアであるイエスは、ユダヤ人が救われるためではなく、異邦人も救われるようにすべての人間の罪を許すために自分の命を捧げた。たしかに、預言者イザヤの言葉は完全になった。