メッセージ - A年 年間

「刈り入れの時まで両方とも育つままにしておきなさい。」

 

 

イエス様は「毒麦」の例えを御自分で解釈します。畑は世界、良い種を蒔く人はキリスト、毒麦を蒔いた敵は悪魔、借り入れは世の終わりであると言います。

キリストはこの世に来て、み言葉の種を、病人を癒したり、死者を甦らせたり、行った多くの奇跡の種を、また、ご自分の体を十字架上で献げて血を流すほど大きな愛の種を、御復活なさって永遠の命の種を世にいる私たちの心に蒔かれました。この救いの種を、私たちは洗礼を初め、他の秘跡とキリストから頂くすべての恵みの内に頂くのです。では、何故世の中に、何故教会の中に、何故自分の内に「毒麦」見たいな悪が育てられ、良いことの成長をふさぐのでしょうか。ある人たちは、この世の悪について神様に苦情を言いますが、イエス様は、「悪魔の仕業だ」と言われます。

人間は、世の中にある悪を取り除く意味で、「麦」の間から「毒麦」を抜き集めて焼きたいです。しかし、これによって悪は益々広がることがあります。イエス様は、麦と毒麦が絡んでいるように、世の中でも人の心の中でも善と悪が混ぜられていることが多いからです。人間は悪の部分に気を奪われてそれを破壊したい時に、善をおろそかにする恐れがあります。その結果として、戦争を起こしたり、互いに争ったり、自分までを憎むようになって自分自身の心に傷つけることも多いのです。ところで、キリストは、悪を無視して「良い麦」を御心に留めて、人の良い心に傷つけることがないように保護を促しています。

「毒麦」の例えを持って、キリストは私たちに次のような指図を与えていると思います。

1.      悪のために場がない程に自分の心を神と神の恵みで満たし、悪い者が心に「毒麦」を蒔かないように気をつけること。

2.      世の中で悪は善に見せかけて大きくなる恐れがあるから、悪の「芽」が大きくならない内に、祈りの中で善悪を識別して、善をもって悪に打ち勝つこと。

3.      悪人に手を向けることも、人を裁くこともなく、「毒麦」を心の中で育てた人の裁きを神様に任せ、むしろ、神様から頂いた恵み(キリストが蒔かれた良い麦)を大切に育み、良い実を結ぶように最善を尽くすこと。