メッセージ - A年 年間

 

イザヤ22、19-23

第一朗読の言葉は、異邦人に対して語られた預言者イザヤの予言の一部である(イザヤ13-23)。この予言はユダ王国の王ヒゼキヤの宮殿のマスターであるシェブナ(Shebna)に対して言われたものである。シェブナ(おそらくユダヤ人ではない)はユダ王国で王様に次ぐ第二の人物であり、持っている力を自分の目的のために使うばかりの人物である。彼を批判する人はイザヤをおいて誰もいなかった。イザヤの言葉によれば、神はシェブナの代わりにエリヤキムを宮殿のマスターとして選んだ。

イザヤ22、22にある表現の意味は「あの人は完全な力を持っている」ということである。この力の源は神である。同じ表現はマタイ16、19と黙示録 3、7に存在する。

ローマ11、33-36

第二朗読は「キリスト者の時代におけるユダヤ人の立場」と言うローマ使徒への手紙の中(ローマ9-11)の栄光の賛歌である。この賛歌によれば、神の知恵は完全 (ローマ11、33)であり、神の御旨は神秘(ローマ11、33)である。人間は神の行いを完全に理解することはできない(ローマ11、34-35)ので、神は全ての生き物の源泉であり、救いであるということを信じることが必要である。というのは、神に選ばれた民であるユダヤ人たちでさえ、イエスをメシヤとして全く信じていなかったからである。この理由は、神秘であるが異邦人が唯一神と契約できるような現代(イエスの時代)に、あるユダヤ人たちはイエスの福音を認められなかった。そのかわり、ある異邦人たちがこの福音を信じて、イエスによって神と契約することができた。異邦人の完全な人々が神と契約できた後に全てのユダヤ人もイエスの福音に信じるようになる。確かに神の御旨は神秘である。

 

マタイ16,13-20

イエスはどんな者であるか。あなたにとってイエスはどんな者であるか。もしあなたが、イエスが預言者であるから彼を信じているということであれば、あなたの信仰は無駄である(マタイ16、13-14)。もしあなたが、イエスがメシヤであるから彼を信じているというのであれば、あなたは命や信仰や恵みなどの泉を見つけたということである。あなたは幸せな方であり、ペトロのような意思である(マタイ16、15-17)。あなたは神の恵みのおかげで信じているのだから。

しかし、マタイ16、18-20の言葉はペトロだけに向けられている。この世を旅する教会の完全な力を持っている支配者は教皇と司教団である。