メッセージ - B年 年間

テーマ:

第一朗読:             サムエル上3,3-10.19

第二朗読:             1コリ6,13-15.17-20

福音朗読:             ヨハネ1,35-42

 

全世界を創造された唯一の神はすべての人々を愛する。この唯一の神はすべての人々からある人を選び、特別な教育をする。その中の一人に第一朗読のサムエルがいる。サムエルとは唯一の神の御旨通りにユダヤ人の十二部族のために最初の王が選んだ予言者である。そうなるために神によって選ばれたのである。しかし、将来尊敬される予言者になるために、子供であるサムエルはそれに相応しい教育を受けなければならなかった。サムエルが子供のとき、唯一の神は彼を呼ばれたが唯一の神をまだ知らないサムエルは答えなかった。彼は自分の先生、ヘリという人の声しか知らなかったからである。ヘリはこの出来事をよく理解できて、サムエルに二つの大切なことを教えた。まず、人間は唯一の神の僕であるということ。そして、唯一の神の僕として、サムエルは唯一の神の声を聞かなければならないということである。この二つのことを学んだ時からサムエルの道が始まった。

この何百年も後に洗礼者ヨハネは自分の弟子たちに真実の道を教えた。その道はイエスであった。洗礼者ヨハネは自分自身をよく理解して、メシアではないという告白をはっきりした(ヨハネ1,19-27)。そして、エルサレム神殿の人々の前だけではなく自分の弟子の前でも、イエスがメシアであるという告白をした。そのおかげで、二人の弟子たちは救いの道を見つけた。洗礼者ヨハネの教えがなければ、この二人の弟子たちは自分の力でイエスを認識できただろうか(ヨハネ1、37)。洗礼者ヨハネの指摘によってこの二人の弟子たちはメシアを見つけることができた。この二人はイエスについていき、イエスがメシアであるということが理解できるように十分学んだ(ヨハネ1、38-39)。イエスのことを分かるようになった一人の弟子(アンドレア)は自分の兄弟(ペトロ)にそれを伝えた。後に、ペトロはアンドレア以上に重要な人物になった。けれどもアンドレアがいなければペトロはイエスに出会わなかっただろう。アンドレアの導きによってペトロはイエスを見つけることができた。

その約二十年後にパウロはコリントに住んでいる異邦人に福音を述べ伝えて、コリント教会の設立者になった。キリスト者になった異邦人たちはパウロの誇りとなったが、簡単にイエスの道を行くことはできなかった。異邦人らしく人間についての教えを学び、キリスト者としてそのまま続けていることがよいことであると思われていた。真実の道をまだ知らなかった新たなキリスト者たちはパウロから人間の尊厳についての教えを学んだ。パウロは「体は淫行のためにあるのではなく主のためであり、主は体のためである」と言った。パウロによれば、人間の体は肉ではなく、人間の体は聖霊が宿る聖所である。堅振を受けた時からキリスト者は聖霊の聖所であるので、聖霊の力の内にイエスの倫理的な教えに従わなければならない。