聖書が教えるカテキズム - 聖書が教えるカテキズム

 

1.担当者からのことば

カトリック教会の教えは、ある哲学や一つのイデオロギーではなく、聖書の中ですべての人に語りかける神様に答える信仰を育む目的とします。このシリーズは毎月、カトリック教会が教えるカテキズム(教会要理)が聖書の中で神様が語られた内容を含むことを証明します。これらはカテキズム講話のエッセンスとして考えて頂けば幸いと思います。

2.「カトリック教会のカテキズム」

カトリック教会の信仰内容は、使徒伝承に基づくものですから世々にわたって変わることなく、新しい信仰内容もあり得ません。カトリック教会は遺産として残した使徒たちの信仰を各時代に適する表現で現して解釈します。現在の「カトリック教会のカテキズム(Catechismus Catholicae Ecclesiae)」は、1997年8月15日に教皇ヨハネ・パウロ2世によって認可され、その日本語訳は2002年7月31日に認可されました。

カトリック教会のカテキズムは、大きく分ければ四つの部分から成り立っています。即ち、以下の四つです。

第1編は「信仰宣言」、

第2編は「キリストの神秘を祝う」、

第3編は「キリストと一致して生きる」、

第4編は「キリスト教の祈り」

このシリーズは、「カトリック教会のカテキズム」のテーマにしたがって、神様が聖書を通して語りかける言葉を提供し、カトリック教会が宣言する信仰の理解を助け、これを読む人に神様との交わりに導くことを狙いとします。

3.カテキズムとは

カトリックのカテキズムは、信仰の内容を教える教会の要理です。信仰を教えることは、「カテケ-シス」と言います。それは、イエス様が世の救いに来られた神の子であるという信仰を中心におき、その信仰生活の中で神様との交わりをする体験に導きます。

ギリシア語のカテケオ(katecheo)に由来するこの言葉が、「kat・a=下へ」と「echo=音、声」から成り立ち、「下まで響き渡ること」、「反響」や「こだま(エコー)」などを意味する言葉です。カテケージスを教えるカテキスタ(教え手)は、講話や講座の形式ではなく、対話の中で信仰の内容と信仰生活を実践できるように人格的な交わりと対話の中で伝えます。したがって、いつの時代にも問答式のテキストが求められていました。カテキスタが教える「信仰」は、神の賜物であるから、信者、また求道者の人生に“反響”を呼び起こし、その人の生き方がキリストの“こだま”となり、神様との対話と交わりに導き、その人はキリストのように考え、キリストのように話し、キリストのように行う者となります。

 

4.神様の言葉に信仰を持って答えた父アブラハムと聖母マリア

旧約時代に、神の言葉に「こだま」した人生を送るようになった最初の人は、紀元前2千年にきた父アブラハムでした。そして、新約時代の最初の人は、キリストを生んだ母マリアでした。

A) アブラハムの召命

主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福しあなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る。」アブラムは、主の言葉に従って旅立った。」(創 12 章1-4a節)

「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継ぐ。」主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。(創 15 章4-6節)

― アブラムは、妻サライが不妊のために子どもに恵まれませんでした。年を過ぎても、神様の祝福の約束を信じたアブハムは、自分の人生を神様に委ねてメソポタミアを出発し、カナンの地に着きました。そこで神様はアラハムの信仰をその人の義として認め、アブラムと契約を結び、その子孫を空の星のように増やすと約束してくださいました。神の言葉を聞いてそれを実行に移すアブラムは、新しい人となりました。神様から新しい名、「アブラハム(多くの人の偉大な父」を頂きました。彼は神の民、イスラエルの最初の先祖となり、信じるすべての人の父と呼ばれるようになりました。その子孫の中から世の救い主、神の子、イエス・キリストがお生まれになり、いつの世の人もアブラハムの信仰を模範とする人が限りなく多いのです。

B) マリアの召命

「六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。 神にできないことは何一つない。」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。(ルカ 1 26-38節)

― 天使ガブリエルは、神様の言葉をマリア様に伝え、聖霊によって神の子、イエス・キリストを生むに選ばれたことをお告げしました。自然界で不可能なことについて問いただすマリア様は、神様に出来ないことは何一つないと信じて自分の人生を神様に委ねました。「お言葉のとおりこの身になりますように」というマリア様の言葉は神の御告げの反響となり、事実上、み言葉を聖母の内に受肉して、人は神様との親密の交わりに入りました。

この信仰によって、マリア様は「聖母」の称号を頂き、世の救い主、神の子、イエス・キリストをこの世に産んだ母(テオトコス)となり、キリストの恵みによって信じるすべての人の母(元后)となられたのです。そして、世の救いの実現に仲介者として最も重要な役割を果たすようになりました。

 

*信じる人の父アブラハムと聖母マリアの信仰の証しは、信仰を求める人に大きなメッセージとなります。父アブラハムは旧約時代の最初の者として、聖母マリアは新約時代の代表者、カテケーシスの受けた者として、自分も世界をも変えた人たちです。彼らの心に響き渡った神のみ言葉は、彼らの人生の中で“こどま”となり、2千年にわたって反響して私たちの心にも響きわたります。