メッセージ - B年 年間

 

(マコ6,1-15)

「イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。」ヨハ 6:11

恐らく、イエスが五千人に食べ物を与えた「ガリラヤ湖の向こう岸」というのは、ベトサイダのことです。イエスがフィリポにパンを売っているところを教えて欲しかったのは、フィリポがベトサイダの出身であったので、この地方を良く知っていたはずだったからでしょう。けれども、フィリポは、素直にイエスのお願いを適える代わりに、そんな大勢の人々のために十分にパンを買うことができるかどうかということについて心配したのです。

確かに、フィリポには集まっていたすべての人々を食べさせることができなかったが、パンを売っているところを教えることなら、フィリポにできることでした。イエスは、フィリポ一人にこの群衆を食べさせようと思ったからのではなく、ただそれに協力するチャンスを与えようとして、尋ねられたのです。けれども、フィリポは余計な心配をしたので、持っていた力さえもイエスに貸すことなく、協力するチャンスを無駄にしてしまったのです。

多くの人々の精神的や物質的な貧しさを見たり、世界にある様々な苦しみや悪を見たりして、すべての人々を助けたいという気持ちがあっても、私たちには助けることが決してできないのです。けれども、イエスはフィリポからすべての人々にパンを与えることを要求しなかったように、私たちからこの世のすべての問題を解決することや、すべての人を救うことを要求しません。これは唯一の救い主であるキリストにしかできないことなのです。イエスが私たちに求めておられるのは、救いの業に力ある限り協力することだけなのです。この願いに応えるために、私たちは、五つのパンと二匹の魚を持っていた少年と同じように素直にならなければならないでしょう。