メッセージ - A年 四旬節

人間は神によって創られた者であるだけではなく、神を探し、神を信じ、神に従うため神に呼ばれた者です。それが今日の朗読の主題です。人間の中で、神を最初に信じた人はアブラムでした。彼の生涯は人間と神との間に出来た最初の契約という実を結びました。神を探し、神を信頼し、神と関係を持てることが代表的な事例です。全ては、まだ知らない神の呼びかけに答えることから始まりました。慣れ親しんだ故郷を捨てる時、彼の旅が死ぬまで終わらないことになるとは知りませんでした。もしそれを知っていたら、果たして最初の一歩が踏み出せたでしょうか。旅をする間様々な経験をして、勝ちも負けも味わったアブラムは、神との真実の関係を学び、神の約束が真実であるということが理解できました。

神の呼びかけに肯定的に答えた者はアブラムだけではなく、旧約と新約聖書にはアブラムのように信仰の道を歩き、神を信頼する人々が多勢登場します。第二朗読にはパウロの弟子であるテモテが現れます。彼はアブラムと同じように自分の家族や故郷などを捨て、パウロと共に宣教活動をしました。年若くして司教になったテモテは様々な問題に陥り、その都度パウロによって助けられました。テモテは神が呼び出してくださった者であり、神の恵みのうちに神の力によって苦しい時にも福音を宣べ伝えなければなりません。イエスの福音は人間の命や人間の死に関する真実の教えだからです。この教えを宣べ伝えるために、テモテは神に呼ばれました。

神が呼び出してくださった者として、事実の神の言葉を宣べ伝えるイエスの弟子たちは少しずつイエス自身を理解することができるようになりました。立派なラビからはじまり、奇跡を起こせる預言者のような者が続き、モーセのような新しい律法を作る者まで、イエスの弟子たちはできる限り一歩ずつイエス自身を発見しました。高い山の上にある弟子たちは「これは私の愛する子、彼を聞け」という神の命令を聞きました。確かにイエス自身を理解するためには、イエスを聞かなければなりません。「聞く」とは耳で言葉を聞くことではなく、心で聞くことであり、それはイエスの言葉を完全に行うことです。信仰とは信念ではなく行いです。

皆さんはこの朗読の言葉を聞いて、様々な点で私たちの経験と関係していることがわかると思います。まず、私たちは神の呼び出しに答えました。そして、この呼び出しを信頼しながら福音を宣べ伝えるために自分の家族や故郷を捨てて、神の御旨に従います。そうすれば、少しずつイエス自身が理解できるようになると思います。