メッセージ - B年 年間

「あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい。」マコ6,7-13

イエス・キリストが十二人の使徒を遣わしてくださったように、洗礼を受けて、イエスの弟子となった私たちをも、神の国を証するように遣わしてくださいます。もしかして、使徒たちが与えられたような権能を与えられていないかもしれませんが、自分の使命を果たすために、十分な力を与えられているのです。

実は、イエスから与えられた使命を忠実に果たすために、最も大事なのは、与えられている力の大きさではなく、イエスに対する私たちの信頼の強さなのです。

というのは、使徒たちが与えられたような偉大な権能を与えられていても、彼らが人々に受け入れられないことがあったように、私たちも受け入れられないことがある可能性がありますし、彼らが迫害されて、殉教したように、私たちも、いろいろな形の迫害に直面することもあるかも知れません。そのときには、イエスに信頼しなければ、自分の働きには意味がないとか、これに伴う危険や実際の苦しみが大きすぎると思ったりして、使命を裏切る恐れがあるのです。

けれども、イエスに信頼すれば、どんな状況においても、すなわち、人々に受け入れられているときにも、受け入れられていないときにも、順境にあっても、逆境にあっても、イエスから与えられた使命を果たすために、全力を尽くことが有意義なことであるという確信をもつことができます。

というのは、地上においても、天上においても、キリストご自身の働きを無駄にしてしまうような力がなく、人々がイエスに協力していても、反抗していても、キリストと共に私たちに近づいた神の国が必ず完成されるのです。また、私たちの証には、だれ一人としても積極的に応じる人がいなくても、私たちの働きが決して無駄にならないのです。なぜなら、イエスには、私たちの良い実を結ぶ働きのみならず、私たちが直面する苦しみや、私たちの失敗さえも、救いの計画を実現するために利用する力があるから、また、この働きが誰にも役に立たないように見えても、少なくとも、私たち自身にとって、神の国という賜物を受けるための心の準備になるからです。

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