メッセージ - B年 年間

それぞれのテーマにそって聖書箇所を覚えるのは難しいです。しかし、イエスが五つのパンと二匹の魚を増やして5千人を満腹させる箇所というと、ヨハネ福音書の6章だとすぐ言えるほど印象的な物語です。またこのパンの増加という出来事につても他の三つの福音も語っているため、イエスの言動の中にこの物語の位置づけは重要だと分かります。


実にパンの増加というこの出来事の重点はどこにあるかについての解釈は様々です。中では、この物語から倫理的な教えを引き出すことがかなり多いです。たとえば、長い時間で自分ご自身に従ってきて、疲れてきった飢え渇く人々に対してイエスのように憐れみと関心を持つ大切さとか、もしくはイエスご自身が不思議なわざをなさったより、むしろ、互いに分かち合うことによってまことの奇跡が起こったということで、分かち合いの精神を強調することとか。さらに、残ったパンの屑を集めるように命じられたことで無駄遣いのない心がけを強調することも出来るでしょう。などなどです。


確かに、病に悩んでいる人々や死にかかっている人々、貧しい人々に対して何らかの具体的な形で手の差し伸べる大切さは言うまでもないのです。福音書の物語の中で、イエスが会衆のために、奇跡をよく行いました。しかし、そういった不思議な出来事をもってこの世のあらゆる不治な人間の病をいやしたり、ただ物質的に日ごろの食事の課題を解決したりするより、もしろ、それらの言動をもって神の国の到来、メシアの時代の開始を告げ知られるためです。特に、ヨハネの福音書の場合、イエスの行った不思議な出来事は「奇跡」よりも「しるし」と呼ばれるものです。


「しるし」には二つの機能があります。一つ目は「しるし」と言えば、何かのヒントをもたらすものです。このパンの増加の出来事においては、イエス・キリストこそが溢れるほどのパンをもって飢え渇く民を養ってくださる救い主であるというヒントは人々の前に置かれています。この物質的なパンをもってイエスは徐々に自分ご自身こそが神に飢え渇く者を満腹させる永遠のパンだと民に示していきます。「しるし」のもう一つの機能は、「しるし」そのものがそれらを見聞きしている者に対して何か具体的な誘いをするものです。つまり、見る人々はその「しるし」に対して応答するよう招かれているのです。しかし、当時の群集はこのしるしを見てもなかなかそのヒントを読み取ることが出来ませんでした。福音書によると、人々はイエスを王にしようとしましたが、決してイエスこそが預言された救い主だという理由よりも、むしろ、ただのパンで満腹したからです。


人の失敗を笑ってはいけませんが、人の失敗から学ぶことが出来ます。聖霊の助けを願いながら、聖書の中で、また日々の生活の中でイエスの示してるしるしをよく読みとって、それらの招きに対して日々をもって答えることができますように。アーメン。

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