メッセージ - C年 祭祝日 |
「主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。」1コリ 11:23-24
神は、イエス・キリストにおいてご自身を全ての人の手に引渡してくださいました。それは、一人ひとりの人が、イエス・キリストを受け入れることによって、神を受け入れるためであり、イエス・キリストに自分自身を与えることによって、神に自分自身を与えるためなのです。このように、互いに与え受け入れ合うことによって、人と神が結び合い、最終的に一体になります。これこそ、永遠の命であり、完全な幸福の状態なのです。
ミサの時、聖体拝領することによって、私たちはイエス・キリストを受け入れます。同時に、イエスに従い、イエスに見倣って生きることによって自分自身をイエスに捧げるという洗礼の約束を更新します。ミサの時に受け入れたイエス・キリストを、日常生活においてどのように扱っていますか。イエスが自分の生活の一番大事な方になって、その中心となっているのでしょうか。イエスに従い、自分自身をイエスに捧げるという約束をどのように果たしていますか。
ミサに限らずに日常生活の中にも続けられるイエス・キリストとの交わりによって、イエスへの愛が深まり、イエスとの一致が固まっていきますように祈りましょう。
主日の朗読聖書 - C年 祭祝日 |
ヨハネ16・12-15
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕12「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。13しかし、その方、す なわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こるこ とをあなたがたに告げるからである。14その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。 15父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのであ る。」
主日の朗読聖書 - C年 祭祝日 |
テーマ :わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です
第一朗読:箴言8、22-31
主は、その働きを始める前から、 そのみわざの初めから、わたしを得ておられた。 (Pro 8:22 JAS)
第二朗読:ローマ5,1-5
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。 (Rom 5:5 JAS)
福音朗読:ヨハネ16,12-15
しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。 (Joh 16:13 JAS)
父が持っておられるものはみな、わたしのものです。ですからわたしは、御霊がわたしのものを受けて、あなたがたに知らせると言ったのです。 (Joh 16:15 JAS)
釈義 - C年 祭祝日 |
第一朗読:箴言8、22-31
箴言はさまざまな書物の収集である。この収集の中で最も大きな部分は箴言10章から29章まで分である。この部分は紀元前7世紀前書かれた書物だと考えられている。箴言1-9は紀元前5世紀に書かれた章物と言われている。どちらの部分にもユダヤ人の知恵的な箴言だけではなくエジプトの箴言と関連する作品がある。第一朗読の言葉はエジプトの文化から影響を受けたユダヤ人の考え方である。ここで知恵は神によって最初に造られたものされる。この知恵は神の力の元である。
第二朗読:ローマ5,1-5
ローマ使徒への手紙の主題は「信仰による義」である。「信仰による義」と言うのはどのように人が正しい人として神に認められるかということである。パウロの教えによれば人は自らの行いのおかげででは無く、自らの信仰によってのみ正しい人として神に認められる。
第二朗読の言葉には直接ではないけれども三位一体について教えがある。
父-「信仰によって義と認められた私たちは(…)神との平和を持っています」
子-「、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。
またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます」
聖霊-「、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」
福音朗読:ヨハネ16,12-15
ヨハネによる福音書の言葉に三位一体の教えが直接出ている。15行の教えが神(父)とイエス(子)の関係について教えである。14行の教えがイエス(子)と聖霊の関係について教えている。そして論理的に聖霊と神(父)が関連している。