主日の朗読聖書 - C年 年間

テーマ :いつでも祈りなさい

第一朗読:出エジプト17,8-13

モーセが手を上げているときは、 イスラエルが優勢になり、 手を降ろしているときは、 アマレクが優勢になった。 (Exo 17:11 JAS)

第二朗読:二テモテ3,14-4,2

みことばを宣べ伝えなさい。 時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。 寛容を尽くし、 絶えず教えながら、 責め、 戒め、 また勧めなさい。 (2Ti 4:2 JAS)

福音朗読:ルカ18,1-8

いつでも祈るべきであり、 失望してはならないことを教えるために、 イエスは彼らにたとえを話された。 (Luk 18:1 JAS)

 
メッセージ - C年 年間

 

「イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。」ルカ 18:1

主イエスが教えてくださった通りに、父である神は私たちが願う前から、私たちに必要なものをご存じです。(マタ 6,5-8)そして、父は「悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」(マタ5,45)、つまり、どんな人にも、言ってみれば、祈る人にも、祈らない人にも必要なものを与えてくださいます。それなら、私たちはなぜ祈らなければならない、しかも「気を落とさずに絶えず祈らなければならない」(ルカ18:1)のでしょうか。

多くの場合、私たちは神に何かを願い求めても、使徒ヤコブとヨハネのように、「自分が何を願っているか、分かっていない」(マタ20,22)、「自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるから」(ヤコ4,2-3)、願い求めているものを与えられないのです。

イエスの祈り方を見ると、祈りとは、無から宇宙を造ることのできる全能の神でありながら、すべての人々を愛し、すべての人のために善のみを求めておられるアッバ、つまりいつくしみ深い父と対話することなのです。祈りの目的は、神から何かをいただくことよりも、神との完全な一致を目指して、神との交わりを深めることなのです。

私たちは、イエスのように父である神に信頼して、開かれた心を持ってこの対話に取り組むならば、自分自身に対する神の愛をますます強く自覚できるだけではなく、自分自身の心の叫び、自分自身の最も深い望み、つまり自分に本当に必要なものを知るようになります。さらに、自分の最も深い望みは、自分に関する神の望みと同じものであるということが分かれば、神との対話の中で、自分の恐れや欲望や願いをありのまま表した後に、「しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」(マコ14,36)というイエスの祈りの言葉を付け加えるようになり、神が与えてくださる賜物を受け、神の導きに従うことができますので、私たちの祈りがいつも適えられるようになりますし、私たちの神との交わりが深まるのです。

 
主日の朗読聖書 - C年 年間

ルカ17・11-19


11イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。12ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止 まったまま、13声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。14イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見 て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。15その中の一人は、自分がいやされたのを知って、 大声で神を賛美しながら戻って来た。16そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。17そこで、イエスは言われた。「清く されたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。18この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」19それから、イ エスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

 
主日の朗読聖書 - C年 年間

テーマ :唯一神を信じなさい

第一朗読:列王記下5,14-17

しもべはこれからはもう、 ほかの神々に全焼のいけにえや、 その他のいけにえをささげず、 ただ主にのみささげますから。 (2Ki 5:17 JAS)

第二朗読:二テモテ2,8-13

私の福音に言うとおり、 ダビデの子孫として生まれ、 死者の中からよみがえったイエス・ キリストを、 いつも思っていなさい。 (2Ti 2:8 JAS)

福音朗読:ルカ17,11-19

そのうちのひとりは、 自分のいやされたことがわかると、 大声で神をほめたたえながら引き返して来て、 (Luk 17:15 JAS)

 
釈義 - C年 年間

第一朗読:列王記下5,14-17

紀元前6世紀の間に書かれた列王記による神は唯一の神でありながらイスラエルの国民だけはなくアラム人(イスラエルの敵)も守る(5,1)。唯一神はユダヤ人を癒すだけではなくアラム人、ナアマンも癒した(5,14)。神が行った奇跡のおかげでナアマンは唯一神を信じ始めた。国籍ではなく唯一神を信じることが元も大切な事である。第一朗読の言葉は神の普遍的な考え方を現している。

第二朗読:二テモテ2,8-13

エペソ教会の司教になったテモテは信者たちをうまく支配できなかったのでさまざまな大変な事件や困難な目にあった。希望と勇気を失ったテモテを支援するパウロは基本的なことを思い出すことを教える(2,8)。基本的な教えというのは、イエスが復活されたことでイエスに救われた信者たちはイエスと一緒に永遠に生きられるということである。パウロはこの教えを、すべての人々が救われるために述べ伝えた(2,10)。

福音朗読:ルカ17,11-19

紀元前5世紀にユダヤ教から追い出されたサマリヤに住んでいるユダヤ人(サマリヤ人)とイエス時代のユダヤ人が関係することは禁止されていた。イエスによって癒された十人の人々の中の一人はサマリヤ人であった。彼は癒されるために必要な信仰を持つただ一人だけの人であったということではない。他の九人も信仰を持っていた。しかし、彼だけが唯一神の栄光と感謝を捧げた。