メッセージ - B年 祭祝日

 

「さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。」コロ 3:1-2

 

使徒たちの中で、ゼベダイの子ヨハネと思われる「イエスが愛しておられたもう一人」の弟子だけが最後まで、つまり十字架のもとまでイエスに従いました。そのことができたのは、他の使徒よりもイエスを強く愛していたからでしょう。苦しみを受ける恐れや命を失う恐れを乗り越えるために必要な力をもたらした、イエスに対するこの大きな愛のゆえに、ヨハネはキリストの死のために他の使徒よりも深く悲しんだのではないかと思います。

そんなヨハネにとってイエスの復活は、どんな意義をもったのでしょうか。恐らく、それは何かの宗教的や神学的なことよりも、もう絶対に会うことの出来ないと思われた一番親しい人、自分の命よりも大切な友との再会が可能になったということだったのではないかと思います。復活されたイエスと出会ったヨハネはどんなに喜んだのでしょうか。

そしてそれよりも、素晴らしいことがありました。普段はどんなに深い友情であっても、どんなに美しい愛であっても、それには必ず終わりがあります。しかし、復活されたキリストはもう一度死ぬことがありませんので、いつまでもヨハネと共にいることが出来ます。それはもう何も、死さえもイエスと再会したヨハネを、イエスから引き離すことが出来ないということになるわけです。愛する人にとってそれ以上素晴らしいこと、それ以上喜ばしいことがあるのでしょうか。

イエスを信じるとは、イエスを愛することであって、イエスと永遠の絆で結ばれることなのです。この人は、ヨハネと数え切れないほど多くのキリスト者と共に、聖パウロの次の言葉を述べることが出来ます。すなわち、「わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、私たちを引き離すことはできないのです。」(ロマ 8:38-39)これこそ永遠の命であり、最高の幸福と喜びなのです。

 
主日の朗読聖書 - B年 四旬節

マルコ15・1-39
1夜が明けるとすぐ、祭司長たちは、長老や律法学者たちと共に、つまり最高法院全体で相談した後、イエスを縛って引いて行き、ピラトに渡した。2ピラト がイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と答えられた。3そこで祭司長たちが、いろい ろとイエスを訴えた。4ピラトが再び尋問した。「何も答えないのか。彼らがあのようにお前を訴えているのに。」5しかし、イエスがもはや何もお答えになら なかったので、ピラトは不思議に思った。
6ところで、祭りの度ごとに、ピラトは人々が願い出る囚人を一人釈放していた。7さて、暴動のとき人殺しをして投獄されていた暴徒たちの中に、バラバと いう男がいた。8群衆が押しかけて来て、いつものようにしてほしいと要求し始めた。9そこで、ピラトは、「あのユダヤ人の王を釈放してほしいのか」と言っ た。10祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。11祭司長たちは、バラバの方を釈放してもらうように群衆を扇動 した。12そこで、ピラトは改めて、「それでは、ユダヤ人の王とお前たちが言っているあの者は、どうしてほしいのか」と言った。13群衆はまた叫んだ。 「十字架につけろ。」14ピラトは言った。「いったいどんな悪事を働いたというのか。」群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び立てた。15ピラ トは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。
16兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、部隊の全員を呼び集めた。17そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶ らせ、18「ユダヤ人の王、万歳」と言って敬礼し始めた。19また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。20このように イエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。
21そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせ た。22そして、イエスをゴルゴタという所――その意味は「されこうべの場所」――に連れて行った。23没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエ スはお受けにならなかった。24それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、/その服を分け合った、/だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。25イ エスを十字架につけたのは、午前九時であった。26罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。 27また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。29そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって 言った。「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、30十字架から降りて自分を救ってみろ。」31同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になっ て、代わる代わるイエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。32メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見た ら、信じてやろう。」一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。
33昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。34三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、 「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。35そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリヤを呼ん でいる」と言う者がいた。36ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と 言いながら、イエスに飲ませようとした。37しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。38すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。 39百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言っ た。

 
主日の朗読聖書 - B年 四旬節

テーマ: 神の子羊

第一朗読:  イザヤ 50,4-7

打つ者に私の背中をまかせ、 しかし、 神である主は、 私を助ける

(イザ 50:6-7 JAS)

第二朗読:  フイリピ2,6-11

それゆえ神は、 この方を高く上げて、 すべての名にまさる名をお与えになりました。 (フイリ 2:9 JAS)

福音朗読:  マルコ15,1-39

そして、 三時に、 イエスは大声で、 「 エロイ、 エロイ、 ラマ、 サバクタニ」 と叫ばれた。 それは訳すと「 わが神、 わが神。 どうしてわたしをお見捨てになったのですか」 という意味である。 (マコ15:34 JAS)

 
釈義 - B年 四旬節

第一朗読:     イザヤ 50,4-7

この言葉は第二イザヤ(イザヤ42-55)と呼ばれる預言者によって書かれた「第三主の僕賛歌」(イザヤ50,4-9)の一部である。この頃の歴史的背景はバビロニア捕囚の時代である(紀元前6世紀)。その大変な時期にあるユダヤ人たちは希望と信仰を失い始めた。だから、著者が主の僕として忍耐と信頼の内に慰めの言葉を述べ伝え続ける。この活動をする間に彼は迫害されたが神を信頼することを諦めなかった。イザヤ50、1-9とイザヤ52、13-53は新約聖書のイエスに関連する(マタ26、67;27、30)。

第二朗読:     フイリピ2,6-11

この言葉はキリスト教典礼の賛歌から取った引用文であると考えられる。この賛歌は旧約聖書の預言と関係している(ダニエル7、13とイザヤ52、13-53、12)。この賛歌には二つの部分がある:イエスが「ご自分を無にして」(フイリピ2、6-8)という部分と、神様はイエスを「高く上げて」(フイリピ 2、9)という部分である。この賛歌のキリスト論的な教え:イエスは神である(2、6)

イエスは人間になった(2、7)

イエスは受難された(2、8)

イエスは主である(2、9-11)。

この手紙の中のフイリピ2、6-11の目的は信者たちを正しい行いと従いについて説明することである。

福音朗読:     マルコ15,1-39

十字架に付けられたイエスは「 エロイ、 エロイ、 ラマ、 サバクタニ」 と叫ばれた。 それは訳すと「 わが神、 わが神。 どうしてわたしをお見捨てになったのですか」 という意味である。この言葉は詩篇22から取った引用文である(詩篇22、8)。この詩篇は迫害されている方の賛歌である。迫害される時に彼が信仰と希望を失わず、神を信頼した。神だけが彼を救う力があるということを強く信じて行った。

 

 
主日の朗読聖書 - B年 四旬節

ヨハネ12・20-33


20さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。21彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポの もとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」 と頼んだ。22フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。23イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける 時が来た。24はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。25自分の命を愛する者は、 それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。26わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるとこ ろに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」27「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父 よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。28父よ、御名の栄光を現してください。」すると、 天から声が聞こえた。「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」29そばにいた群衆は、これを聞いて、「雷が鳴った」と言い、ほかの者たちは「天 使がこの人に話しかけたのだ」と言った。30イエスは答えて言われた。「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、あなたがたのためだ。31今こそ、 この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。32わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」33イエスは、御 自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、こう言われたのである。