主日の朗読聖書 - B年 年間

マルコ2・1-12

1数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、2大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになっ た。イエスが御言葉を語っておられると、3四人の男が中風の人を運んで来た。4しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったの で、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。5イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの 罪は赦される」と言われた。6ところが、そこに律法学者が数人座っていて、心の中であれこれと考えた。7「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神 を冒涜している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」8イエスは、彼らが心の中で考えていることを、御自分の霊の力で すぐに知って言われた。「なぜ、そんな考えを心に抱くのか。9中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、ど ちらが易しいか。10人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に言われた。11「わたしはあなたに言う。起き上が り、床を担いで家に帰りなさい。」12その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。人々は皆驚き、「このようなことは、今まで見 たことがない」と言って、神を賛美した。

 
主日の朗読聖書 - B年 年間

テーマ: 神の民

第一朗読:     イザヤ43,18-19.21-22.24b-24

わたしのために造ったこの民は わたしの栄誉を宣べ伝えよう。 (Isa 43:21)

第二朗読:     二コリ1,18-22

私たちをあなたがたといっしょにキリストのうちに堅く保ち、私たちに油をそそがれた方は神です。 (2Co 1:21)

福音朗読:     マルコ2,1-12

イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。あなたの罪は赦されました」と言われた。 (Mar 2:5)

 

 
釈義 - B年 年間

第一朗読:           イザヤ43,18-19.21-22.24b-24

第一朗読の言葉の背景には、バビロニア移住後だということである。バビロニア移住の理由はイスラエルの罪であったと、預言者イザヤは思っていた(イ ザ43、22-24)。バビロニア移住から解放されることが神の業であった(43,18-19.20)。イスラエルの民は神の国民であるので、いくら苦し い時代があってもいつも最後に神に救われる国民である。

第二朗読:           二コリ1,18-22

パウロはイエスの僕(奴隷)として様々な所ですべての人々に福音を述べ伝えて教会を樹立した。だから、彼は「弟子」と呼ばれる権利があった。けれど も、彼は自分でやった業を自分の力でできたことと思っていなかった。彼は、いつも神の力のおかげで伝道を出来ると思っていた。だから、教会を作る方は神で ある。「私たちをあなたがたといっしょにキリストのうちに堅く保ち、 私たちに油をそそがれた方は神です。」

福音朗読:           マルコ2,1-12

福音書の言葉は「イエスの権利と尊厳についての議論」と呼ばれる部分の中での最初の議論である。人間の罪を許す権利は神だけにある。だから、イエスは中風の人に言う時に受身を使った。「 子よ。 あなたの罪は赦されました」と言われた。イエスは人間の罪を許す権利があるということを証する業が中風の人をいやす奇跡である。

 
メッセージ - A年 待降節

テーマ: 「イエスはその人たちの信仰を見た。」(マルコ4,5)

中風の人を癒して頂くために四人の男は、床を担ぎ、群衆に阻まれ、屋根に登ぼり、穴をあけたり、病人をつり降ろしたりして、様々な障害を乗り越えて、病人をイエス様のもとに運んで来ました。ところで、イエス様は病人の体を診たのではなく、四人の信仰を見たのです。中風の人の病気を治そうとするのではなく、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われて、イエス様は先に心の麻痺を起す罪を取り除いたのです。これを信じない人に対して、心の癒しを証明するために、キリストは中風の人に、「起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」と言われて、その病気を治したのです。これを見た群衆は、信仰を深めて神様を賛美しまた。治った病人は、その時まで彼を運んでくれた床を背負って、自分で運ぶようになったのです。

私達の罪からの救いは、イエス様が中風の人を癒すようなものだと思われます。罪人は、中風の人のように自分で立ち上がることができず、自力でキリストに近づくこともできません。赦すことを知らない群衆のように世間は、彼を無視して場合によって酷く扱うために癒されないような妨げとなります。

福音の四人の男は、キリストを信じる共同体である教会の象徴となります。教会は、信仰から生まれる祈りと愛の実践を持って、キリストへの道を妨げる障害を乗り越えて、罪人をキリストのもとに連れて行く力があります。キリストは私達の罪ではなく、教会の信仰を顧み、私達の罪を赦し、心に平和をお与えになります。

教会の中で大切なのは、中風の人を担いだ四人のように、私達の生きる信仰が多くの人にキリストへの道を開き、キリストの救いについての証しが、多くの人々の心を神様への賛美と信仰の喜びで満たすことです。又、病気を治して頂いた中風の人を運んだ床を、彼は自分で運ぶことになったように、罪を赦された者は、積極的にキリストの言葉に従って、以前犯した罪を償いながら御父の家に前進するように呼ばれています。

 

 

 
主日の朗読聖書 - B年 年間

マルコ1・40-45
40 [そのとき、] 重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。41イエスが深 く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、42たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。43イエスはすぐに その人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、44言われた。「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定め たものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」45しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。それで、イエス はもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。