主日の朗読聖書 - B年 年間

 

テーマ: 御旨

第一朗読:     創世記3,16-19

女にはこう仰せられた。 (Gen 3:16)

また、人に仰せられた。 (Gen 3:17)

第二朗読:     一コリ10,31-11,1

私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。 (1Co 11:1)

福音朗読:     マルコ1,40-45

イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。「わたしの心だ。きよくなれ。」 (Mar 1:41)

 
主日の朗読聖書 - B年 年間

マルコ1・29-39 (年間第5主日)
29[そのとき、イエスは]会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。30シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたの で、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。31イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。32夕方になって日 が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。33町中の人が、戸口に集まった。34イエスは、いろいろな病気にかかっ ている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。
35朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。36シモンとその仲間はイエスの後を追い、37見つける と、「みんなが捜しています」と言った。38イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来た のである。」39そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。

 
主日の朗読聖書 - B年 年間

マルコ1・21-28

イエスは、安息日に〔カファルナウムの〕会堂に入って教え始められた。人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。2そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。24「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」25イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、26汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。27人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」28イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。

 
メッセージ - B年 年間

テーマ: 「みんなが捜しています。」(マルコ1,37)

今日の福音のイエス様が、病床になったシモン・ペトロの姑を起こし、数人から悪霊を追い出して、悪霊に言うことをお許しにならなかったから、人々は、朝早くいなくなったイエス様を捜した。命を救い、悪から守る方を捜すのは、カファルナウムの人達だけではなく、使徒ペトロの言葉通り、「みんなが捜しています」ということである。命の主は神のみであり、罪を赦して悪から救う方はただ一人、神の子イエス・キリストだ。いわゆる、私達の皆は、意識的にも無意識的にも神様を捜し求めているのである。

祈っているイエス様を見付けた使徒ペトロが、イエス様を喜んで歓迎する自分の町カファルナウムに再び連れて行きたかったが、イエス様は、「みんなが捜しています」から、他の町や村で宣教に出かけた。

私達がイエス様の模範から次のことを学ぶことができると思う。

①   祈る模範

私達の祈りは、時間が余って都合が付けばということではなく、イエス様のように、祈りを一番先に奉げ、務めを果たすためではなく、御父と親密な関係を作り、生活の中で神中心にして生きることである。

②   宣教の模範

私達が度々自分のしたいこと、また自分の得のためにだけ、左右されて行動することなく、キリストのように、神の御旨を優先にして、この世の中で自己奉献によって神の愛を実現し、宣教の使命を果たすということである。

 
釈義 - B年 年間

第一朗読:    ヨブ7,1-4.6-7

ヨブ記は紀元前5世紀頃に書かれた書物だと思っている学者たちが多い。知識文芸の中で最も美しい書物である。ヨブ記の目的は「正しい人はなぜ苦しん でいるか」という質問の答えを探すことである。実は、最後までこの書物の中に望んだ答えは出てこないが人生と人間の尊厳を理解するために大変役に立つ教え がたくさんある。第1朗読の言葉によれば、人間の人生は仕事と義務をするための時間である。だから人間は僕(奴隷)である。

第二朗読:    一コリ9,16-19.22-23

パウロは若者の時にイエスと戦った。つまりイエスを信じているユダヤ人を迫害した(使徒9,1.4)。ダマスコへ行く間にパウロがこの戦いに負けて自分で イエスはキリストであるということを信じ始めた。敗者としてパウロはイエスの僕(奴隷)であるという意識があった。だからパウロにとって福音を述べ伝える という仕事をするのは最初から当前ことだった(使徒9、20;1コリ9、16.19)。第2朗読の言葉はこの気持を示す。

福音朗読:    マルコ1,29-39

イエスは特別な力を持っている方として、苦しんでいる人々を助けるためにこの力を使った。しかし、このやり方は社会的な活動の意味ではなく神の国が近づい ていたということを述べ伝える福音を証することであった。イエスは神の御旨を行うために人間の僕のような方になった。この業の目的は、イエスが行ったこと を見る人々が神に感謝して神の言葉を信頼するためである。