釈義 - B年 降誕節

テーマ: イエスは神の愛である

第一朗読:           イザヤ60,1-6

バビロニア移住後、ユダに戻ったユダヤ人たちはエルサレムの栄光が再び現れるという希望と信仰を失っていたため、都を建て直ための熱意と意志がな かった。イザヤはそのような考え方を変えるためにエルサレムの将来の栄光について預言します。預言者の言葉によれば神の栄光はこの町に必ず留るからエルザ レムが全世界の中心になる。それはメシア時代に完全になる預言である。

第二朗読:           エフ3,2.3b.5-6

一般的にいえばユダヤ教の教えによって異邦人が救われる可能性はなかった。ユダヤ人ではない人々は救われるためにユダヤ教に回心しなければならな い。だから、エフェソの使徒への手紙の著者によって異邦人がイエスのおかげで救われた方々になったことは「秘められた計画」である。

福音朗読:           マタ2,1-12

ヘロデ大王はユダヤ人ではなく、イドマヤ人だった。ユダヤ地区の王になることはユダヤ人の選択ではなく、ローマ帝国の意志だった(紀元前40‐4 年)。ユダヤ国民から強く反対されたヘロデはユダヤ人を迫害した。ベツレヘムにユダヤ人の王が生まれたという情報はヘロデにとって危ないニュースであった ので、自分の王朝を守るためにダビデの町に入るすべての2歳までの子供を殺すという命令をした。

 
主日の朗読聖書 - B年 降誕節

テーマ: イエスは神の愛である

第一朗読:     イザヤ60,1-6

起きよ。 光を放て。 (Isa 60:1 JAS)

第二朗読:     エフ3,2.3b.5-6

その奥義とは、 福音により、 キリスト・ イエスにあって、 異邦人もまた共同の相続者となり、 ともに一つのからだに連なり、 ともに約束にあずかる者となるということです。 (Eph 3:6 JAS)

福音朗読:     マタ2,1-12

そしてその家に入って、 母マリヤとともにおられる幼子を見、 ひれ伏して拝んだ。  (Mat 2:11 JAS)

 
主日の朗読聖書 - B年 降誕節


〔そのとき、羊飼いたちは〕急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、〔彼らは、〕この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である

 
釈義 - B年 祭祝日

第一朗読(民数記6・22-27)では、主がモーセを通して、祭司たち(アロンと    その子ら)に対して、イスラエルの人々を祝福するように仰せになられる。この祝福は当然のことながら、主とイスラエルの民との間の契約に基付く「祝福と呪い」の祝福であろうが、その主は仲介者モーセに御自分の名を『あってあるもの』と啓示された。この祝福はイスラエルの民だけではなくすべての民へと及ぶ普遍性を排除しないゆえんである。そのことをパウロは、第二朗読(ガラテヤ4・4-7)で次のように述べている。時が満ちると、神は律法の支配下にある者を贖い出して、神の子とするために、御子を女から生まれたものとして遣わされた。わたしたちは、奴隷ではなく、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を受けた相続人でもあるのだと。もちろん、イスラエルの人々だけではなく、すべての人である。福音書(ルカ2・16-21)では、天使たちの不思議な話を羊飼いから聞いたマリアが、すべてを心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは神をあがめ、賛美しながら帰って行き、幼子は八日たって割礼の日を迎えたときイエスと名付けられたと述べられている。神の救いの意思を成就する「イエス」・「神のみことば」を聴き、受け入れ、育むマリアの姿と生き様は、「ゆるし」と[和解」と通してのみ実現する世界の平和への道標となっている。

 
メッセージ - B年 祭祝日

「天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。」ルカ 2:15-16

 

お正月に当たって、始まろうとしている新しい年は、過ぎ去った年よりも、良い年になるという希望を抱いている人が大勢いるようです。この希望が新年の挨拶の中でよく表わされています。けれども、今までの体験からよく分かるはずのことですが、何か良いものを手に入れるために、また他の人に善を与えるために、それを願望するだけでは十分ではありません。

マリアは、完全に神を信頼していて、神に自分自信をゆだねました。神に忠実で、従順であったゆえに全世界の救い主の母、神の子の母となりました。それによってマリアは自分の最も深い望みを実現したとともに、すべての人々に最善の贈り物を与えることとができたのです。

私たちは神の愛を知るようになって、マリアのようにこの愛に愛をもって応えるならば、最高の善である神の愛にあずかるようになります。同時に、私たち自身が、他の人のために神の命の泉になります。それによって、私たちが新年の挨拶の中で表している希望や願望が本当に実現されるのです。良いお年を・・・