メッセージ - C年 祭祝日

「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」(マタ2,2)

暗ければ暗い程に空の星が良く見えます。星は、罪の暗闇の中で希望の光となり、進むべき道を示すシンボルとなりました。したがって、イスラエルにとって星は、善と真理の識別、神への道を示し、神との契約の象徴となったのです。ところで、旧約聖書の中で「東方」は、罪深い所を示しています。創世記の中で、アダムとエヴァが罪を犯した後、エデンから追い出されて東に住むようになり、アベルを殺した後にカインもエデンの東にあるノド(さすらい)の地にさまよい、またイスラエルは度々東から敵に襲われ、捕囚時代にもイスラエルは東にあったバビロンへと強制的に移住させられました。

東方の三人の博士たちが神様から来られる「偉大な王」の星を見出したというのは、キリストによる救いが罪人に公現されたことを表現したということです。彼らは、「その方はどこにおられますか。」という問い掛けを心の中に抱きながら、星の導きに従ってその方を捜し求めました。その目的は、自分の得を考えることなく、その偉大な幼子を拝むことでした。御降誕節の典礼は、神の子の誕生を私たちのために再現されます。星は、すべての人のために輝くように、キリストによる救いが皆の人のためであり、誰でも神様を見出して拝みに来るように招かれているのです。

世界中には、罪の暗闇、そして病気、過労、失業、家庭暴力や離婚などの苦しみ、また死の陰がたくさんあります。だから私たちの皆は希望の星の光であるキリストを探し求めています。この世の暗闇の中で私たちが洗礼の時に頂いたキリストの光は、力強く輝いているはずです。今も、私たちは博士たちのように信仰の旅を続けます。その道からそれたなら、教会共同体に尋ねるのが良いことです。何よりも聖書は確実に神の子がおられる所を私たちに教えます。

三人の博士たちは、下にある自分の暗い「陰」を見つめていたのではなく、目を上げて輝く星を見つめていながらキリストを見出すことができ、御子の前に謙遜に頭を下げて拝み、持っていた一番いいものを贈物としました。神様を探し求める私たちも、自分の神様の子どもとしての品位を忘れることなく、悩みや苦しみではなく、心の中で持っている最も尊いもの、善い業と愛する心を捧げ物と致しましょう。そうすれば、私たちの一人ひとりの心の中で、自分を救ってくださったキリストを見付けることでしょう。

 

 
主日の朗読聖書 - C年 祭祝日

ルカ2・41-52

41[イエスの] 両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。42イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。43祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。44イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、45見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。46三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。47聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。48両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」49すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」50しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。51それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。52イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。

 
主日の朗読聖書 - C年 祭祝日

テーマ :神の恵み

第一朗読:サムエル上1,20-22.24-28

彼女はみごもり、その時が巡ってきて、男の子を産み、「わたしがこの子を主に求めたからだ」といって、その名をサムエルと名づけた。 (1Sa 1:20 KOG)

第二朗読:コロサイ3,12-21

キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。あなたがたが召されて一体となったのは、このためでもある。いつも感謝していなさい。 (Col 3:15 KOG)

福音朗読:ルカ2,41-52

「どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか」 (Luk 2:49 KOG)

 
釈義 - C年 祭祝日

テーマ :神の恵み

第一朗読:サムエル上1,20-22.24-28

サムエルの誕生は奇跡であった。アンナは年をとった女性であったので、アンナにとって神からいただいた者は神の者である。子供の頃から神殿で育ったサムエルは、その後偉い預言者になった。神に最後まで従った。イスラエルの十二の部族が士師的な政治制度から王国的な政治制度に移行したのは、サムエルの時代になってからのことである。

第二朗読:コロサイ3,12-21

コロサイ3,12-21の言葉は、キリスト者としてこの世に生きている間どんな道を歩くべきかという説明をする部分である。まず、キリスト者は許された人であるから、いつも他の人を許すべきだという教えである(3,12-13)。これは社会的な教えである。次に、心の中に愛、平和、知恵を備えるのに必要な、自分なりの教育をするべきだとする教え(3,14-17)。これは個人的な教えである。そして最後に、家族の関係をどのように律するべきかということを説明している(3,18-21)。これは世帯的な教えである。キリスト者として信仰だけではなく、キリスト教らしい毎日の生活をすることを伝えている。

福音朗読:ルカ2,41-52

家族の生活の中でお互いに人間関係の問題がある場合が多い。そのうち、両親と子供の関係は一つの問題である(2,48)。両親は子供のことをいつも心配するが、ときどき、子供の心や考え方が理解できない(2,50)。子供は自分の道を探す時に両親の心配を考えず(2,43-44)自分の夢の声を聞く(3,49)。しかし、お互いに理解できる時が来る。

 
メッセージ - C年 祭祝日

「イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」ルカ 2:48-49

イエスがその生みの母であったマリアに向かって語った言葉、例えば「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」・・・「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」(マコ 3:33-35)という言葉を読むと、イエスは孝行息子ではなかったとか、血の繋がりを大事にされなかったというような印象を受ける人がいるようです。

しかし、もしそれが事実であったならば、イエスは34年間の生涯の中の30年間も家庭生活をされたのでしょうか。決してそうではないはずです。やはり、人生の凡そ90%を家族にささげたイエスは、家族の生活は非常に大事であるということを示したと思います。

考えてみれば、非常に多くの場合は、血の繋がりがあっても、犬猿の仲の関係に生きる人が多くいます。自分の野心や欲望を優先して自分の子どもに対する責任を怠ったり、または子どもを虐待したりする親がいたら、自分の両親を敬わずに、ただのいろいろな援助や資金の源としてしか見ない子どもも沢山います。家族の中でいろいろな問題が世代から世代へと伝わることも珍しくありません。

イエスが聖母マリアに語った言葉によって、血族関係が大切であっても、何よりも大事なのは、神との関係であるということを教えています。神は、私たちの幸福を妬むような恋がたきではなく、すべての人が互いに愛し合うことを求めておられる天の父であり、愛の源です。ですから、神との関係を何よりも大切にするということは、他の人間関係を犠牲にするということではなく、神から真の愛をいただくことによって血族関係を含め、あらゆる人間関係を癒していただくということなのです。