主日の朗読聖書 - C年 年間

テーマ :神に従う人

第一朗読: ハバクク1,2-3;2,2-4

しかし、神に従う人は信仰によって生きる(ハバ2,4)

第二朗読:二テモテ1,6-8.13-14

そのとき主は、 神を知らない人々や、 私たちの主イエスの福音に従わない人々に報復されます。 (2Th 1:8 JAS)

福音朗読:ルカ17,5-10

あなたがたもそのとおりです。 自分に言いつけられたことをみな、 してしまったら、 『 私たちは役に立たないしもべです。 なすべきことをしただけです』 と言いなさい。  (Luk 17:10 JAS)

 
釈義 - C年 年間

テーマ :神に従う人

第一朗読: ハバクク1,2-3;2,2-4

第一朗読の歴史的な背景には、バビロニア捕囚がある。神の国民が異邦人の奴隷になったということが、ユダヤ人には理解できなかった。だから、ハバククはユダヤ国民の代表として、祈りの形で文句をつけている(1,2-4)。このハバククの訴えに対する答えは、バビロニア捕囚がいつかは終わるということである。それはユダヤ人の力で行うことではなく神によって決められることである(2,2-4)。

第二朗読:二テモテ1,6-8.13-14

第二朗読の言葉は、テモテの希望を強めるためのパウロの言葉である。パウロと一緒に宣教活動をしたテモテは、エペソ教会の司教になって、平和的で安心な生活をする代わりに、さまざまな問題を正し、反発するキリスト者と議論しなければならなかった。まだ若いテモテの心には、恐れと絶望が生まれた(1,6-8)。パウロによれば、そんな時にこそ、テモテはパウロから学んだ「健全な言葉」 をもとに、自分の教えと行いをしなければならない(1,13-14)。

福音朗読:ルカ17,5-10

福音書の言葉は二つの部分からなる。第一部分はイエスの弟子に関する言葉である。弟子は自らの信仰心に自信を持てずに、信仰が足りないと思っている(17,5)。イエスもそう思っている(17,6)。第二部分は仕事を終わってうちに戻ってまだ仕事をしなければならないという僕の生活の話である(17,7-9)。この二つの部分(信仰と役に立たない僕の気持)はどんな関係があるのだろうか。「私は神の僕、役に立たない僕である」という自信が無ければ、キリスト者の信仰は強くなる可能性が無いとルカは思っている。

 
主日の朗読聖書 - C年 年間

「使徒たちが、「わたしどもの信仰を増してください」と言ったとき、主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。」ルカ 17:5-6

自分たちの信仰が小さすぎると思った使徒たちは、イエスにそれを増すように頼みました。その依頼に応えてイエスが言われたのは、彼らの信仰の本当の問題というのは、その大きさではなく、その質、つまりそのあり方であるということでした。

その12人は、自分たちの家とか、仕事とか、つまり今までの生き方を置いてイエスの呼びかけに応えて従ったほど強い信仰を持っていました。けれども、彼らが信じたのは、いつか必ず王になるイエスに従えば、その権力や富や名誉にあずかるということでした。彼らにとってイエスを信じて、イエスに従うというのは、自分たちの野心や欲望を満たすための手段であったわけです。

正しい信仰のあり方を説明するために、イエスは謙遜な僕についてたとえを語りました。真の信仰を持っている弟子は、このたとえの僕が主に仕えたように、キリストに仕えます。それは、キリストが私たちの奉仕を必要としているからとか、私たちを奴隷にしたいからとかではありません。キリストに仕えることによって人は、自分の能力や時間だけではなく、自分自身をキリストに奉献するのです。

実は、キリストにとって私たちは僕ではなく、友なのです(ヨハ15,15)。そして、イエスは私たちの奉仕を受けるだけではなく、自ら私たちに仕えてくださる(ルカ12:37)。それは、御自分の命を与えてくださったほど献身的な奉仕なのです。

そのような相互の奉仕の目的というのは、より楽な生活のような利益ではなく、永遠につづく一致なのです。私たちはキリストの奉献を受け入れ、自分自身をキリストに完全に捧げたら、イエスと一つになるのです。そしてイエスと一致することによって、父である神の命にあずかり、神の愛に生きるようになるのです。それこそ、真の信仰の最終的な目的であるわけです。

 

 
主日の朗読聖書 - C年 年間

ルカ16・19-31

〔そのとき、イエスはファリサイ派の人々に言われた。〕19「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。 20この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、 21 その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。22やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによっ て宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。23そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハ ムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。 24そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしは この炎の中でもだえ苦しんでいます。』25しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、 ラザロは反対悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。26 そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来るこ ともできない。』 27金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。28わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦 しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』29しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を 傾けるがよい。』30金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。』 31アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろ う。』」

 
主日の朗読聖書 - C年 年間

テーマ : 正を行う

第一朗読:アモス6,1.4-7

あなたがたは、 わざわいの日を押しのけている、と思っているが、 暴虐の時代を近づけている。 (Amo 6:3 JAS)

第二朗読:一テモテ6,11-16

しかし、神の人よ。あなたは、これらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。 (1Ti 6:11 JAS)

福音朗読:ルカ16,19-31

『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。 (Luk 16:25 JAS)