主日の朗読聖書 - C年 年間

テーマ :だれでも自分を高くする者は低くされ

第一朗読: シラ3,17-18.28-29

子よ、何事をなすにも柔和であれ。そうすれば、施しをする人にもまして愛される。(3,17)

第二朗読:ヘブライ12,18-19.22-24

しかし、あなたがたは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです。 (Heb 12:22 JAS)

福音朗読:ルカ14,1.7-14

「婚礼の披露宴に招かれたときには、上座にすわってはいけません。あなたより身分の高い人が、招かれているかもしれないし、 (Luk 14:8 JAS)

 
釈義 - C年 年間

第一朗読: シラ3,17-18.28-29

シラ書は紀元前2世紀の間(約180年)にヘブライ語で書かれた書物であるが、ユダヤ教聖書正典に入らなかった。この書物の著者はシラの子イエスである(シラ50,27)。そのすぐ後(約130)、ギリシア語へ翻訳され、七十人訳(LXX)に入り、キリスト教の聖書のうちの、第二聖典の書物と呼ばれるようになった。シラ書の著者はユダヤ教の知恵やユダヤ人の民衆的な知恵をヘレニズムの知恵と混ぜ合わせ、完全な人生についてさまざまな事を教えている。第一朗読の主題は柔和である:「子よ、何事をなすにも柔和であれ。そうすれば、施しをする人にもまして愛される」。

第二朗読:ヘブライ12,18-19.22-24

第二朗読の言葉は、ヘブライ人への手紙の著者がユダヤ教の元(モーセ)の律法を原初キリスト教の元(新しい契約の仲介者イエス)と比べている。「怖い神」と言う神のイメージ(12,18-19)の代わりに、キリスト者が「われらと共にいる神」と言う神のイメージを信じている(12,22-24)。

福音朗読:ルカ14,1.7-14

イエスのたとえは現代社会と強い関係があると言えるだろう。人間の知恵では「一番になる」ということが人々にとって最も望まれることである。偉い人は偉いが、「俺は偉い人」と思っている人は11行の教えを学ばければならないだろう。:「だれでも自分を高くする者は低くされ、 自分を低くする者は高くされるからです」。

 
メッセージ - C年 年間

 

テーマ: 「さあ、もっと上席に進んでください」

 

ファリサイ派の議員の家に食事のために招かれたキリストは、ある招待客が自ら上席を選ぶ様子に気付いて注意しました。もし、もっと偉い人が来たら、その席を譲らなければならないから恥ずかしい目に合うからイエス様は末席を薦められました。家の主人が入ったら、謙遜な人に上席に進むように言われると、人の前に高められることになるからです。

民主主義時代の今日、イエス様のお薦めは社会常識になっています。自ら上席に進む人は、皆に軽蔑されることでしょう。しかし、末席を選ぶ人は必ず謙遜な人であると思ってはならないと思います。建て前として他の人に上席へ進むよう言いますが、心の中で自分が偉いと思って上席を譲ってもらえられることを図っている人もいれば、自分が謙遜で礼儀正しい人だと皆に自己アピールをしたい人もいます。ところで、封建主義のキリストの時代に上下関係はハッキリしていましたからその変化が争いを起こします。しかし、この上下関係を作ったのは、神様ではなく人間なのです。神様の前に誰が一番であるかを捜して見出すように求められると、キリストは福音の中で促しています。

ファリサイ派の家に招かれた人の間に一番偉かった人はキリストです。キリストは謙遜な方ですから、自ら上席を取ることはありませんでした。しかし、キリストが神の子なのに、ファリサイ派の家で誰も彼を上席に案内しなかったことは、不信仰の印であり、神の御心が無視された証拠となります。

人間は誰でも神様を求め、キリスト者は自分のうちにキリストを招くのです。特に洗礼と御聖体のうちにキリストが私たちの心にも訪れます。キリストは柔和で謙遜だから「上席」には自ら進んでおられません。訪れたキリストは、ファリサイ派の家で迎えられたような様子にならないように注意しなければなりません。仕事、遊び、テレビ、財産、富、車、商売、名誉、社会地位、友達、祈りなどは、私たちの心の中でそれぞれの場を納めていると思います。私たちは自分の心の中で一番尊い所にキリストを受け入れ、すべてを彼に委ねて治めるようにしているでしょうか。私たちの全生活の中ですべての次元でキリスト中心にして生きるでしょうか。いわゆる、私たちはキリストに、「さあ、もっと上席に進んでください」といつも言っているでしょうか。

 
主日の朗読聖書 - C年 年間

ルカ13・22-30


22〔そのとき、〕イエスは町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでおられた。23すると、「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と言う人がいた。イエスは一同に言われた。24「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。25家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、あなたがたが外に立って戸をたたき、『御主人様、開けてください』と言っても、『お前たちがどこの者か知らない』という答えが返ってくるだけである。26そのとき、あなたがたは、『御一緒に食べたり飲んだりしましたし、また、わたしたちの広場でお教えを受けたのです』と言いだすだろう。27しかし主人は、『お前たちがどこの者か知らない。不義を行う者ども、皆わたしから立ち去れ』と言うだろう。28あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが神の国に入っているのに、自分は外に投げ出されることになり、そこで泣きわめいて歯ぎしりする。29そして人々は、東から西から、また南から北から来て、神の国で宴会の席に着く。30そこでは、後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある。」

 
主日の朗読聖書 - C年 年間

テーマ : すべての事の目的

第一朗読:イザヤ66,18-21

わたしは、 すべての国々と種族とを集めに来る。 彼らは来て、 わたしの栄光を見る。 (Isa 66:18 JAS)

第二朗読:ヘブライ12,5-7,11-13

訓練と思って耐え忍びなさい。 神はあなたがたを子として扱っておられるのです。 父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか (Heb 12:7 JAS)

福音朗読:ルカ13,22-30

人々は、 東からも西からも、 また南からも北からも来て、 神の国で食卓に着きます。 (Luk 13:29 JAS)