メッセージ - A年 年間 |
第一朗読:シラ15,15-20
第二朗読:一コリント2,6-10
福音朗読:マタイ5,17-37
シラ書は二世紀の初めにヘブライ語で書かれた書物であり、それから約三十年後にギリシア語に翻訳された。この書物の歴史的な背景には、セレウコス王朝がユダ地方を支配し始め、ユダヤ人がヘレニズム文化を受け入れるように強く活動した時期であったということが挙げられる。その時、ユダヤ教を止めてギリシアの文化と哲学(philosophy-知恵を愛する)を受け入れるユダヤ人が多くいた。シラは、「神を恐れる」という人間の態度が正しい知恵を学ぶための始めの段階だという教えを述べ伝える(ユダヤ教とユダヤ人の文化の基本である)ために、この書物を書いた。
第一朗読の言葉は、会を信じることについての基本的な教えを含む。神を信じるか神を信じないかは人間の選択である(15、16‐17)。人間に選択をさせるというやり方は神の知恵の印である(15,18)。神を信じるということを選んだ人々は神に守られた人である(15,19)。その人々は神の掟を守らなければならないし(15,15)、不信仰や罪深い生き方などは許されることではなかった(15、20)。
コリント市のキリスト者たちの一つの問題は、様々な家庭教会がなかなか統一されたコリント市の教会を造れなかったということである。様々な理由があるが、その中の一つに「知恵がある」と「知恵がない」という相反する考え方があった。第二朗読の言葉によれば、すべてのキリスト者は知恵があるが、その知恵はこの世の知恵ではなく(この世の知恵は人によって異なる)その知恵は神の知恵である(2,6-8)。ナザレのイエスは神の救いの業であるということを理解するためには、その知恵が必要である(2,8)。キリスト者が神の知恵を知っているというのは、正しい知恵が「神を恐れる」ことから始まるのではなく、[神を愛する]ことから始まるということである(2,9)。イエスキリストは神の知恵であるということが理解できるような聖霊の啓示が必要であった(2,10)。
福音の言葉はモーセの十戒に関係している。モーセの十戒はユダヤ教の律法の基本であり、信者にとって信仰を守るために最も安全な道である。ユダヤ人の苦しい歴史の中にあって、モーセの十戒は信仰と希望を守るため、一番役に立つことである。ナザレのイエスはユダヤ人として、モーセの十戒を廃止する意図は無かった(5,17)。イエスの教えや活動などの目的はユダヤ人がモーセの十戒を正しく理解できるようにすることであった。モーセの十戒の字義的な解釈が足りないと感じたイエスは、新しい解釈をした。この解釈のもとになっているものは、愛(アガペ)である。愛(アガペ)というのは神のために生き、隣人のために生きることである。愛(アガペ)の内にモーセの十戒を解釈することは、モーセの十戒を完成することである。
主日の朗読聖書 - A年 年間 |
マタイ5・13-16 (年間第5主日)
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕13「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。14あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。15また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。16そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」
メッセージ - A年 年間 |
「あなたがたは地の塩である。(…)あなたがたは世の光である」(マタイ5,13a・14a)
* 塩はどんな特質があるでしょうか。
・塩は食物に味をつけ、食べる喜びを与え、食べにくいものを食べやすくし、栄養を取るように助けます。
・塩は食べ物を保存する力があり、腐敗から守り、清めます。
・塩をそのまま食べる物ではない。辛くて体に害を与えます。食べ物には塩を入れ過ぎないように気を付けなければなりません。
* 光はどんな特質があるでしょうか。
・光は、照らすことによって人がものを識別し理解することを可能にします。
・光は、つまずくことも、迷うことがないように導く力があります。
・光は、温かさを与えることによって、生きる物を成長させ、種を作るものには花を咲かせて実を結ばせます。
・光の火は、人を野獣から守って命を救う役目を果たします。
・光の火は、精錬する力があり、腐敗するものを消滅して清めます。
・光の火は、人を一つに集めて結びます。
・光は、神のシンボルで、人に愛、希望、友情、平和、喜び、元気などを与えます。
・光を持つ人は、物を照らして多くのものに出会うことができるが、自分を照らすと眩しくなって何も見えなくなり、他人に自分の陰を落とすこともあります。
・光の火を用心しないと、火事になり、命も財産も奪われます。
* 塩も光もその役割を果たすために自分を失っていくという共通点があります。例えば、塩は食物に溶け込んで味を与え、蝋燭の火は自分の身を燃え尽くしながら光を放ちます。
イエス様は、「地の塩、世の光」の例えを、「人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父を崇めるようになるためである。」(マタイ5,16)という目的で言われたのです。もし、私たちは謙遜にならず、自分を中心にして善行を行うならば、人に陰を落として暗くし、その人生を辛くて苦いものにし、破壊するかもしれません。私たちは、キリストの心を持って、自分のすべてを尽して神様を愛するゆえに、キリストの手足となって善い業を行って、多くの人が神を見出すことができるように地の塩、世の光とならなければなりません。
私たちの行いは、人の生き方を咲かせ、明るくして清く正しい道を示し、人生に良い味を与えて満たし、成長と繁栄、すべてのつまずきと悪から守り、皆の心を一つにして愛、平和と喜びに満ちた人生を与えるものでなければなりません。なぜなら、行いが自分自身ではなく、神様が誉れを受けるように証しができれば、真の幸せと喜びになるからです。
メッセージ - A年 祭祝日 |
「シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れです。」ルカ 2:28-32
生まれてから40日目に奉献されたイエスは、一生涯、聖霊の導きに従って、父である神の望みに適う人生を送ることによって、それを完全なささげものにし、人類の罪を贖い、神との和解への道を開いてくださったのです。
洗礼を受けたときに、神の命を受け、神にささげられた私たちは、イエスに倣って、洗礼の恵みに忠実に生きること、つまり聖霊の導きに従って生きることによって、私たちのすべてを父である神にささげることができますように、そして、父である神とのますます深い交わりに生きることによって、多くの人々を神のもとに導くことができますように祈りましょう。
「シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れです。」ルカ 2:28-32
生まれてから40日目に奉献されたイエスは、一生涯、聖霊の導きに従って、父である神の望みに適う人生を送ることによって、それを完全なささげものにし、人類の罪を贖い、神との和解への道を開いてくださったのです。
洗礼を受けたときに、神の命を受け、神にささげられた私たちは、イエスに倣って、洗礼の恵みに忠実に生きること、つまり聖霊の導きに従って生きることによって、私たちのすべてを父である神にささげることができますように、そして、父である神とのますます深い交わりに生きることによって、多くの人々を神のもとに導くことができますように祈りましょう。
主日の朗読聖書 - A年 祭祝日 |
ルカ2・22-40
22モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親は〔イエス〕を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。《23それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。24また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。 25そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。 26そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。 27シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。 28シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。29「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。30わたしはこの目であなたの救いを見たからです。 31これは万民のために整えてくださった救いで、32異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」33父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。 34シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。 35――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」 36また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、37夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、 38そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。 》39親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。 40幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。